この気持ちは片思いに似ている

 ニーチェの哲学を噛み砕いた本を1冊読んだだけなので、この認識で正しいのかどうか分からないが、と前置きしておく。「力への意思」というのは個体にもともと備わっている、より大きく、より強くあろうとする自己拡大の本能ということだろう。となれば、消失願望を胸に抱いている今の僕はやはり異常と言わざるを得ない。全ては自分の弱さに起因する。僕が強ければ、道を切り開くことも、そして死ぬこともできたのだろうか。
 寝る前に、布団の中で自己否定を繰り返していると胸がちくりと痛む。醒めぬ眠りに就きますようにとお願いごとをするのだ。もしくは、大きな毒虫になっていればいいな、と。騒ぎを聞きつけた父親にリンゴを投げつけられて「ひぎぃ」と悲鳴を上げ、それが致命傷となって今までの記憶を思い返しながら息絶えるのだ。
 まだ見ぬ冥土の世界に思いを馳せる。何かに似てるなと思う。届かぬ思いに、胸が締め付けられる。そうだ、これは片思いだ。少しだけ乙女の気持ちが分かった気がする。
 冥土の世界に行ったら、まず何がしたいか。ふらりと喫茶店に入り、置かれた状況を鑑みつつ一息つきたい。これが本当のメイド喫茶。ダジャレで終わる。