113.2

 春学期の情報資源組織論Bの期末試験。試験が始まるまで手持無沙汰だったので、ぺらぺらとNDC*1をめくっていて、目に留まった113.2の数字。それが指すものは「厭世観」。あぁ、今のボクにぴったりだな、と思いながら試験を受けた夏の日。季節が移り変わって秋になっても、ボクは未だにくすぶったまま。この状況から抜け出せる気がしないよ。

 「決意を聞かせて欲しい」というメールを受け取って1週間が過ぎたけど、決心出来ないまま今に至るわけで。ある人は言う。「たまにはニヒルになるのもいいけど、いつもそれじゃあね」、と。リアリズムな見方をすることが多いから自分では気づかないだけで、思考の本質はニヒリズムのようにボクは思う。ニヒリズムは重力みたいなものだ。何らかの抗力を持たないと、見る見るうちに心の深淵へと堕ちてゆく……

 「ソクラテスの弁明」を読んだ。弁明の中でソクラテスはこう言うのだ。

「諸君、死を恐れるという事は、知恵がないのにあると思っていることにほかならないのです。それは知らない事を知っていると信じていることになるのです。もしかすると、死は人間にとって最大の幸福であるかもしれないのです。しかし人間は死を最大の悪であると決めてかかって恐れているのです。これこそ知らないのに知っていると信ずる事、無知ではないでしょうか。それで私が少しでも知恵があると自ら主張するとすれば、私はあの世のことについてはよく知らないから、その通りよく知らないと思っているという点をあげるでしょう。」

消極的消失願望*2持ちのボクからして見れば、「ソクラテス、よく分かってるな」という印象を受けた。近いうちこの本に関してレポートを書かなくてはならないので、それの準備も兼ねて少し考えてみよう。
 これを読んだ時に、方向性は少し異なるものの、「死」に対する認識を改めるという点でハイデガーの思想と近い印象を受けた。結局のところ我々は、ハイデガーが指摘するように‘死に臨む存在’であって、これを認識することによって実存の本来の生き方を求めて行く他ならないのだ。「死」と向き合うという点で見れば、この思想にはリアリズム的な側面が垣間見える。みたいなことを踏まえて、ソクラテスの生き方は実存主義的だということも交えつつ、レポートを書こうかな、と。

 研究にしても就活にしても、そして就職にしても、心の深淵に差すような希望の光には到底なり得ないわけで。ニヒリズムには実存主義が効く、ということまでは分かったものの、考えてばかりじゃ何も変わらないわけで。とにかく動かないと。でも動くのは怖い。結局、何も変わらないというループから抜け出せない。いっそのこと、ニヒリズムと心中するのも悪くないかなと思ったり。
 ボクを唯一裁けるのは地獄の審問官だけ。業火にくべられることになったとしても、薄汚れたこの社会に使い捨てられるよりはずっとまし。喜んで、焔へと飛び込みましょう。

 De nihilo nihil. 薬を飲んだら、少しニヒリズムの重力が弱まってきた模様。そのかわりに、喉の渇きと脱力感が襲ってくるのですが。今のうちに、何とかメールを返信しておかなければ。

*1:日本十進分類法 本の分類番号を決定するツール

*2:自らの手で、ということは無いけれども、この世界からの消滅を望んでいるのです