ボクが殺意を抱くワケ

 我ながら、おどろおどろしいタイトルになってしまったな、と思う。けれども、それについてテニスをしながらぼんやりと考えたいら、原因が何となくわかったように思われたので。久しぶりのテニスは予想通り、楽しいもんじゃなかったけど。
 生きてることもそこまで悪いことじゃないけど、目先の心躍ること*1に惑わされて、生きることに付き纏う心殺がれること*2を忘れているだけだよ。生きてる限り、それは切っても切り離せないんだ。だからこそ、「死ぬことは真の幸せである」というわけで。哲学の授業で齧った都合の良いように解釈したオルフィック教団の思想*3は突っ込みどころ満載なので、あえて語りませんが。ちょっと重めのニヒリズムに罹ってますね。
 さて、そこまで死を崇めていても、ボクはその一歩を踏み出せない。やっぱり怖いものは怖いのだ。夜の帳が降りかかった夕焼け空*4に身を任せてみたいとは常日頃思っているのだけども、なかなかね…… ややもすれば、ボクの背中からひょきっと翼が生えてくるかもしれないし、空飛ぶ女の子の箒に引っかかるかもしれないし。そんな現を抜かしていたって、物理法則には抗えまい。ニュートンは偉大なり。目の前に真の幸せがあるにも関わらず、それに飛び込んでいけないボクはあまりにも無様だ。あれほど切り捨てた生に対する未練があるとしか思えない。
 消失への恐怖を乗り越えるためにはどうしたら良いか? 答えは簡単、生に対する未練を無くせばいいのだ。
①とことん生に対する恨みつらみを募らせる
②それと並行しながら、死の崇拝
③あるとき臨界点を越えて、サヨウナラ
なかなか理論通りにはいかないものだ。心では分かっていても、体が先にやられるのだ。これでは臨界点を越えられない。健康第一、体は資本だからね。
 ボクの心に殺意なるものがあるのは紛れもない事実。そんな状態はお世辞にも好ましいとは思えないし、ボクもなんだかなぁ*5と思う。それについてテニスもそこそこに考えていたのだけど。最終的に行きついたのは、「身を滅ぼすための手段」だとこと。そのようなことを犯してしまえば、マトモな人間として生きていく道が断たれてしまう→消失の恐怖を乗り越えるのではないか、という思考。こんな風に考えてしまうのだから、改めてボクはどうかしてるんだと思います。
 ボクはきっと、死神のように淡々と狩ることは出来ない。震える手に携えた刃物で、切り傷を負わせるのがやっとだろう。そして、取り押さえられて強制終了。これじゃ、ダメじゃん。ボクの消失という当初の目的に叶わない。奴が死のうが生きようが、ボクのしったこっちゃないのだ。
 くんかくんか、すでに標的が決まっているような臭い*6がするね。昼にはボクの提案を前向きに受け止めておきながら、夕方にはそれを無視して全く別のことを言いつける人間を、ボクは信用できない。さすがに頭に来たのでその日の晩にメールでやんわりと抗議してみたのだけども、それ以降音沙汰なし。出向いて追及する気もないよ、会うだけ無駄だから。奴には奴の、ボクにはボクの都合がある。それは分かるよ。だったら、率直に言ってもらえた方がどんなに良かったことか。あなたにしてみりゃ、ボクなんざ使い捨てで代わりなんかいくらでもいるんでしょうね。
 こうなった主たる原因はボクにあることは知ってる。何たって、ボクはおかしいからね。環境を変えるのが最良の手段。でもね、現実的な選択肢じゃないんだな。結局は戻らなきゃいけないんだ、あの牢獄に。だから、ボクは自分が保てるように努力はしなくちゃいけないし、それを手助けしてくれるとも奴は言った。そして、この仕打ち。これで嫌気が差して*7辞めたとしたら、奴はほくそ笑むだろう。なんたって、厄介事が一つなくなったのだから。結局、ボク一人がいらぬ面倒だけを背負い込まされて、これから先、この問題にずっと向き合って行かなくちゃいけないんだ。それじゃあんまりだよ。お気に入りのシャツを血まみれにしながら、片手には亡骸を掴みながら、地獄へ出廷す。そして、神の裁きを、どんなに極刑でも、ボクは粛々と受け入れましょう。

 こほん、書いててノッてきちゃったので、中二病全開で恥ずかしい限り。何を言おうとするか、忘れてしまいましたよ。まぁ、「神様はいじわるだね☆」ということで。でも、心配はいりません。これよりも激しい衝動があったこの前も、結局何もできなかったのですから。生きることもままならず、死ぬこともままならず。

*1:楽しいことでも嬉しいことでもなんでも

*2:悩みとか苦しいこと、辛いこともろもろ

*3:パリンゲネシアとカタルシス 

*4:こんな感じ

*5:似てない阿藤快のものまねで

*6:具体的には硫黄のかおり

*7:というか、もう嫌気に染まりつつあるけど