待ち構えるのは破滅

 今日は意図的にロシア語の授業を休んだ。2限の授業はサボらずに大学に行ったので、授業が終わった後、プリントを貰いにロシア語のY先生の研究室へ。プリントを貰うついでに文転しようか悩んでいる旨を伝える。先生の要点をまとめると
・理系と文系じゃやってることが全く違うよ
・院試に受かったとしても、文献研究できるだけの語学力はあるの? ついてけないよ?
・文系の院を出たところで、それこそ将来の道が無いよ 将来はどうするの?
・その選択は君にとって破滅にしかならないよ?
・結局、今の道を続けた方がよっぽどいいよ 
・今に至る選択が君にとっての原点なんだし、そこからは逃れられないんだよ
とまぁ論破されまして、ぼろぼろ泣いたわけでございますが。

 ボクがどうして哲学に興味を持っているかといえば、それがボクが進むべき道を示してくれるのではないかと考えているから。具体的に言えば、「生きることは不幸せである」という証明が出来れば、心置きなく死ねるのではという仮定に基づくわけで。だから、就職のことなど考慮する必要がありません。万が一、その証明が出来なくても、文系修士の時点で就職は取り返しのつかないことに。そうなったら、やはり死ぬ他ありませんね。今のままでもどうにも埒が明かないし、最終的な破滅は避けようがないのです。

 いろいろ話をして、考えるたびに、確固たる考えが固まりつつある。やはり、死はとても素晴らしいことなのだ。みんな、生にこだわりすぎてるんじゃないのかな?(´・ω・`)