小康状態につき

 土曜の深夜に「あぁ、近いうちに死ぬ他ないのだ」と枕を濡らしておりましたが、いよいよ動き出さざるを得なくなって、日曜は出る所に出て参りました。何がきっかけになるか分からないもので、用事が終わった後はたいそう前向きな気持ちになっていました。

 騙されないぞ。前向きになったところで、足を掬われるのがオチなのだから。今後も、ネガティブなニヒリストとして生きていく次第。神様がボクを殺めるその日まで、少しだけ自分で動いてみるのもやぶさかではないが。

 何かしらの目的のために行動する。これがボクの思う‘生きる’ということ。ゆえに、自分自身と向き合って、その存在意義を確かめるために‘死ぬ’ことだって、立派な‘生きる’こと。確かに、魂は肉体に内包されているけど、多くの人は、肉体に重きを置きすぎていないか。ボクという存在を確立させているのは他でもない魂であることを忘れてはならない。本来は、肉体と魂はどちらも欠けてはならないものだけど、どちらか一方をとるとすれば、ボクは肉体を捨てて魂を取ろう。

 死を悪者に仕立て上げて生を徹底的に崇めるこの世の中は、どこか宗教じみていて不気味に思えてならない。