ボクのフィロソフィア

 野暮用で都内まで行く電車の中、ボクはぼんやりと考えを巡らせた。

・どこで人生の歯車が狂ってしまったのか
・そもそも、こうなるように仕組まれていたのではないか
・人生の目的はやはり「幸せになること」である
・例えば、美味しいものを食べたり、人に褒められること
・前者は本能的要求、後者は理性的要求
・ボクという存在は身体と心からなり、身体は魂の器のようなものである
・身体を維持しようとするのが本能的要求
・魂を満たそうとするのが理性的欲求
・身体的要求も理性的要求もボクがボクであるためのホメオスタシスと言える
・生きること自体は果たして幸せなことだろうか?
・身体的ないし理性的欲求が満たされることが幸せ
・生きるということは要求を絶えず満たしていかなければならない
・そう考えると、生きるということは不幸せなことのようにボクは思う
・要求を満たすことが麻薬のように作用し、生きること=幸せと錯覚しているだけの話
・目標を達成出来ず、達成のための努力も出来ないのが今のボク
・人生は選択と妥協の産物
・分かっていても、割り切れないボクの人生
・生きようと思えばそこまで難しくない、けれども死ぬのは容易じゃない
・中途半端に生きているこの状況は、「生きている」と言えるのか
・相反する身体的要求と理性的要求
・いろいろな人と話すたびに、「何でもいいから生きてみようよ」と言われる
・その人たちは「どのように生きていくか」という視点から物事を捉えている
・ボクが問題としているのは「何のために生きているのか」ということ
・噛み合わないhowとwhy
・生きることに対してwhyで臨むのが哲学(だとボクは思っている)
・今、ボクが一番話をしたいと思っているのが哲学の先生
・笑ってサヨナラできるように、少しずつ準備をしていこう

準急に揺られた1時間半は、ボクにとっての煉獄であった。