The die is cast.

 自殺を実行できないのは、心のどこかで希望を抱いているからに過ぎない。

 成果主義のこの社会では、頑張る・頑張らないに関わらず、成果を出しさえすれば良いのだ。だからこそ、成果を出せていないボクに対する風当たりは冷たい。でも、それは構わない。でもね、成果は自分の頑張りで出せるものだろうか? もし、神様のサイコロ遊びで決められているとしたら?

 成果主義に対する反論。ボクがこの世界に産み落とされたことを、どう説明したらいい? ボクの発生以前にやがてボクと成りうる何かが「人間になるのだ」など努力した成果とはいくらなんでも思えない。

 時折、ボクは神様という言葉を使うけど、この世界を支配する漠然とした力みたいなものを想定してる。もっとも、神様が実在したら楽しいだろうな、とは思うけど。

 人生はきっと素晴らしいもののはずだし、人間は気高い存在であるはずだ。けれども、ボクの人生はお先真っ暗で、自分を含めた人間はそれはそれは卑しい存在で。理想と現実のギャップからボクは自殺という考えがちらつき、二の足を踏みながら希望を捨てきれないことに気づくのだ。

 成るべくして成ったことなのだ。もし、明確な意志の下で死に至ったとしても例外ではない。全ては神様のサイコロが決めたこと。