精神動揺剤

 別に公にすることじゃないが、いわゆる“薬”を服用している。ただ、薬を飲まなければ日常生活に支障をきたすほどじゃないし、むしろ飲まなくたって平穏な日々を送ることは出来る。もっとも、感情が荒ぶることはあるが。

 ボクからしてみれば薬を飲むことの方が珍しいくらいなのだが、ここ最近は薬を欲する機会が多くなった。ただ、ボクにとっての「薬を飲む」という行為は精神の動乱を鎮めるためではなく、自分自身が異常な状態であるということの確認のようなものに過ぎない。

 言ってみればお酒がわりなのだ。もともとお酒は強い方だと自覚しているし、それこそ20を過ぎた頃は毎週金曜日に一人で安居酒屋の飲み放題に行ったものだ。思い返せば、独房のような個室に通され、話し相手も居なく、ただただ酒を煽るだけの虚しいものだったが。そして、生き地獄のような二日酔いになる度に「もう酒なんか飲むものか!」と啖呵を切るのだが、しばらくすればお酒が恋しくなるのだ。

 なんだかんだ言っても、お酒が好きなのだ。ちょっと前はイギリス風のパブに出入りするのにはまり、フィッシュ&チップスとエールなんぞを頼んでみるのだが、相変わらずビールの美味しさを理解できずにいる。人生の苦さを忘れたいのに、わざわざ苦いビールを飲む気がしれない。ちなみにボクのお気に入りはモスコミュールかモヒートである。

 ただ、お酒にも難点が幾つかある。1つは高揚した気分を保つためには血液中のアルコール濃度を一定に保つ必要があって、これが極めて難しい。2つめはアルコールの接種と利尿作用によってトイレが近くなること。そして3つめは生き地獄行きの可能性があることだ。そう考えると、お酒がいかに面倒なものか。その点、薬ならば手早く同等の効果を得られる。唯一の難点は正式な手続きを踏まないと手に入れないことぐらいか。

 お酒の代替としての当初の目的と打って変わって、最近は「社会的不適合者」のレッテルを自ら張るべく薬を飲んでいる。正直なところ、薬で気分が楽になる実感はよく分からない。むしろ、薬を飲んでいない、ご機嫌なときのほうがよっぽど前向きだと思う。

 夏の面影を残した陽射しを浴び、雲一つない青空の下を歩きながらこれからの日々に思いを馳せる。自分ひとり暮らしていくくらい、何とかなるのではないか。
 気持ち悪いくらい前向きな自分にぞっとする。一つの現象を楽観的にも悲観的にも捉えることができるが、より現実に即した見方は後者であるとボクは信じて疑わない。むしろ楽観的に考えるというのは人間の悪しき癖だとさえ思う。
 あぁ、これは一刻も早く薬を摂取しなければ大変なことになる。心の平穏なんかいらない、ボクが薬に求めているのは動乱である。

 なぜ精神動揺剤なるものが存在しないのか。そう言いかけて、おそらくそのような物質は既に知られているが、それを服用することのメリットがない以上製品化されていないのだと勝手に納得する。こうなったら、自発的に発狂する他ないようだ。