高坂原論27

■空想的自殺主義(1)
◇序論
かねてからネット上の仮想空間にも自らのねぐら、つまるところホームページであるが、を設けたいと考えていた。このブログに不便さを覚えたことはさほど無いなのだが、「高坂あかな」という存在及びその酔狂な言動に関して体系的にまとめ上げる必要、いや正確には自己顕示欲と表現するべきだろう、の蠢きを感じていた。

とはいえ、ホームページ作成のノウハウは皆無である。が、HTMLタグをちょちょいと弄ればそれなりのものが出来るだろうと考えていた。早速、ジオシティのアカウントを作り、ジオクリエーターなる作成支援ツールの助けを借りつつ試行錯誤してみたものの、手も足も出ず。まさしく達磨である。自分では執着心の強い人間だと自覚しているが、埒が明かないと悟った場合は別で、すっぱりと乗り換えることにした。

次に手を出したのがWordPressである。自由度の高いブログだと考えていたのだが、ネット上でカウンターの導入を開設したページの手順通りに試してみたものの、一向に導入できない。調べてみると自前でサーバーを用意しなければならないらしい。という訳で自分なりに調べてレンタルサーバーに登録し、カウンターの導入にも紆余曲折あったのだが何とか上手くいき、一先ず形だけではあるがねぐらネット支所の開設に至った。

次に導入を考えていたメニューバーで躓き、解説書を買ったところですっかり満足してしまい、それからというものの放置が続いて未だに蛻の殻状態。本来、ねぐらネット支所の重要なコンテンツであるはずの空想的自殺主義の理論構築は一切進んでいない。そのような状態に痺れを切らし、ブログのほうで先行公開という形にして、後にねぐらネット支所に輸入すれば良いかと思い、早速頭の中の断片的な理論を具現化しようと思ったものの、結局は空想的自殺主義の概念に一切言及することなく、苦労話と言い訳をだらだらと書き連ねて満足している始末。大いに先が思いやられてならない。

という訳で、今回は序論という形にしておいて、次回以降に概念の説明および理論構築をしていきたいと思う。そもそも、この記事を此処ではなくねぐらネット支所の方で書けばよかった気もするが、5月31日というのも中途半端な気がして気に食わない。いろいろとこだわりがあるのだ。

ねぐらネット支所は遺書としての役割も兼ねているので、そのことだけ付け加えておく。おそらくこの文章が輸入された際には、「About」のページになるものと思われる。ただ、公開がいつになるかは全く持って見通しが立たず、神のみぞ知ると言わざるを得ない。