何とか生きてます

ずいぶんと久しぶりにブログを書く気になったので。最後に日記らしい文章を書いたのはいつだったかと調べてみたら、半年以上も前だった。もっとも、去年の夏ごろからだんだんフェードアウトしていっているが。

従来は日記でその日の出来事を時系列順にまとめていたものだが、twitterと連動させて一日分のつぶやきをまとめて投稿するシステムを導入してからは、戯言の保管所と化す始末。ただ、このやり方はスマホなら出先でも即時かつ手軽にツイートできるので、幾分便利ではある。

少し真面目に考えたことなどは、「ねぐらネット支所」と称するネット上の拠点(とは程遠いホームページのようなもの)に移行して、このブログは「ねぐらネット支所」の一コンテンツという形で位置づける予定のはずだったが…… 9月から夜間の数時間、労働(被搾取)に従事することになり、昼間は学生もどき(科目等履修生)として大学に通う二束の草鞋を履く状態に。私生活に余裕が全くなくなると共に、賃金も酒に消え…… とにかく毎日のやるべきことを片付けるのに精一杯で、読書(おかたい哲学の入門書からやわらかめのマンガまで)する気力も時間もなく、思索にふける余裕もなく、さながら酒を燃料とする労働力の供給源に他ならなかった。

4月からは最後の一年という位置づけで、相変わらず学生もどきかつ社会人もどきのふわふわした身分。ようやく今の生活サイクルに慣れてきたところで、そろそろ期末の試験やらレポートの準備をしないといけない時期に。

とりあえず、読まなきゃいけない本を読みつつ、通常の課題と労働(被搾取)をこなしていかないといけないので、今のうちから少しずつ進めておかないとと思った次第。

今学期のレポートはフロイトマルクスニーチェを中心とした現代思想が課題。1人に焦点を絞っても良いのだろうけど、近代に対する懐疑を出発点として切り口は違えど「人間存在あるいはその集合体であるところの社会の本質」に対して考察を行ったという点で3人は共通している。さらには近代哲学から現代思想への橋渡しをした人物としてフォイエルバッハが挙げられるが、彼の「疎外」はこれら3人の思想に影響を与えたという点にも踏み込んで言及したい。

というわけで、大まかなレポートの構成案を示しておく。
Ⅰ.近代哲学の萌芽と完成:デカルトによる自我の発見、ヘーゲルの国家(社会)観
Ⅱ.近代から現代への過渡:フォイエルバッハの「疎外論」、反ヘーゲル思想
Ⅲ.近代批判としての現代思想(1):マルクス社会主義…経済による疎外
Ⅳ.     〃      (2):ニーチェの超人思想…宗教による疎外
Ⅴ.     〃      (3):フロイト精神分析…自我による疎外
Ⅵ・現代思想が目指したものとその行く末:全体的な総括

大風呂敷を広げたが、まずは関心のあるニーチェからまとめて、そこから少しずつ内容を広げていければいいだろうか。それぞれの入門書やら哲学史やら、読まなきゃいけない文献があるので大変ではあるが、納得のいく出来にしたい。

とにかく、最近はこんな感じで忙しいものの、ギリギリではありますが毎日を回しています。