覚悟を決めよ、されば道は開かれん

 理想が高いことは本当に良いこと?

 エゴグラム心理検査の結果から、「理想が高すぎるがゆえに、いつもどこかで不満を感じてる」ということを指摘されました。自分の仕事をこなせているうちは、それが向上心のきっかけになってくれるんだろうけども、一度上手くいかなくなると不満ばかり蓄積されて、スパイラルに陥ってしまう。今、まさにその状態なわけで。「研究を上手くこなすためには、テーマを好きになるべきだ」という思いがずっとあって、それによって真綿で首をぎゅうぎゅうと締め上げられながら考えたけど、やっぱり興味なんか持てないし、「そんな下らないことに1年半も従事するくらいなら死んだ方がよっぽど幸せ!」とすら思うのですよ、申し訳ないけども*1
 身の丈に合わない大きな鎌を背負った死神さま*2「死にたい?」と問われれば、「もう少し待って欲しいなぁ」と答えると思う。それでも、問題を解決する1つの手段として、どこか憧れみたいなものを感じてるのも事実。そんなことをちらりと仄めかす度に「卑怯なやり方だ!」とか「認めない!」とか言わる度に、例の画像が頭に浮かんでくるわけで。

 その例の画像。

 僕は別に許可を求めてるわけじゃないし、そもそも僕と死神さまとの契約*3であって、外野が口を挟むことじゃないと思うの。カウンセラー曰く、「本当に死のうとしている人を止めることは出来ない」し、その気になれば黄泉比良坂*4まで行くことは簡単なわけで。それでも、現にこの世界をふらふらしてるのは何らかの未練があるのか、それとも自分が‘弱い’せいなのか。
 神さまに「状況を打破するために、ほんのちょっとの勇気を下さいませんか」と懇願し、手に入れた一握りの勇気で空飛ぶことを夢見てる。血の池地獄で軽くのぼせながら、してやったりの表情でお冠になった神さまの様子を眺めてる僕。そんなことを妄想してたら、この動画を思い出した。

 まさかゴリラにしてやられるとは。[人間→神さま、ゴリラ→僕]の図式。

 もう8月に入ったし、そろそろ「んしょっ」と重い腰を上げなくては。いろいろ考えたけど、下らない研究のせいで自分の経歴に傷をつけるのはもったいないことだよなぁ、と。テーマを好きになって、意欲的に取り組めればそれが理想だけど、僕にだって嫌いなことくらいある。それがたまたま研究だったっていう話で。嫌いなことを好きになる努力はしたけども、やっぱり無理だった。それじゃあ、僕と研究の関係はそういうもんなんでしょう。研究する意義はあっても‘僕が’研究する意義を見いだせない*5し、今すぐにでも辞めてやりたいとけど、仕方なくやる。そういうスタンスでしかやれないと思った。ここまでくれば、残された問題はあと一つ。精神をすり減らしながら、下らない1年半と心中する覚悟を決めるだけ。精神が崩壊するのが先か、卒業を迎えるのが先か、それが今の懸案事項。

 改めて思うのは僕はわがままで、だから理想も高いんだと思う。やるかやらないか、そのどっちかしか選択肢が無いの。だから、こういう状態に陥る。やりたくないことをほどほどにやるスキルを身につけられたら、少しは生きやすくなるはず。

*1:教授もこのブログ見てるんだか、よく分からないけど。どっちにしろ連絡も来ないし、そういう扱いなんでしょ、僕なんて\(^o^)/

*2:何故か分からないけど、死神さまは小さな女の子のイメージがものすごく強いのです、個人的には。

*3:涙目で「今月のノルマがあと1件足りていないんですぅ」なんて言われたら、ほいほいと契約しちゃいそうだけど。

*4:黄泉比良坂へは岡山経由の「ゆったりやくも」でどうぞ。米子駅で各駅停車に乗り換えて、揖屋駅徒歩20分です!

*5:僕がこんな状況だから、他の人か進めてるみたい。僕はやりたくないし、その彼(僕も誰がやってるかは知らないけど)がやりたいと思うんだったら、それで丸く収まるじゃない。んでもって僕はお払い箱、バイバイ!