ぐるぐると心に渦巻く感情は

 分かっていても、それが出来ないのです。それが唯一の救いだと思い込んでも、やはり怖いものは怖いのです。他人にとっては恐れる闇こそが、自分にとっての救いの光だというのは、皮肉なことだよね。

 他人の振る舞いを、そして自分の振る舞いからつくづく人間は醜いなと思う。そう毒気づくことで心に安寧を。やっぱり、こんなの普通じゃないよ。

 魂ってなんだろう? 一人ひとりの差異を作りだすもの? より善くあろうとする精神活動の源流? ソクラテスが愚かなる民に伝えたかったのは、「ソーマ(肉体)にしがみつくのではなく、プシュケ(魂)にこそ目を向けるべきだ」ということ。それによって自分自身の在り方に気づかされるのだ。ボクが拠り所にしている「肉体からの魂の解放」なんて詭弁に過ぎないことくらい、よく分かっている。

 この状況から抜け出せないのは、生に対する価値を見いだせないから。そんな状態で、研究の事だとか就職の事だとかに目を向ける余裕を持てない。そこまで生にしがみつかなくてもねぇ……と思ってしまう。でも、どっかしらで未練があるから行動を起こせないんだよね。ボクは一体どうありたいの? これが心の闇の正体。

 すさんだボクにぴとりと寄り添う死の誘惑は、ボクを甘美な気持ちにさせる。仕方ないので、最後にもう1回だけ研究に戻ろう。それでだめだったら、手土産を持って地獄へ行くのもいいし、臆病者として生きていくのも悪くない。人の心を平然と踏み躙るような人間には、ボクはなりたくない。