ボクに足りないモノ

 2年での卒業が絶望的になりました\(^o^)/

 就職のために我慢するということも選択肢としてなかったわけじゃないけど、それもできなかった。幸せになるために人は働く。そのために今、頑張ってとしてもそれが確約されるわけじゃない。そして、結果が伴わなければ、努力が足りないと言われるのだ。ごく普通に働いて、ごく普通に家庭を築く。ボクにはそれが出来そうにないや。そんな下らない願望など、捨ててしまえ。改めて思うのは、死は本当に不幸せなことだろうか? 常に悩みが付きまとう生は本当に幸せなのだろうか? そんなことをある人に話したら、「じゃあ、キミは何のために生まれてきたの?」と聞かれた。その時、ボクは答えられなかったけど、よくよく考えてみればそれは‘神さまの人生ゲームの駒’に過ぎないボクになされる質問じゃないのだ。

 ボクにはボクの、彼には彼の言い分がある。それを付き合わせたところで、何も解決しやしない。ボクだって、こんな状態で今学期も単位を貰えるとは思ってなかった。精神を錯乱させてまで単位を取るのは馬鹿げてる。やっぱり、ボクには向いていないのだ。ある時、彼はボクに言った。「人生80年のうち、1年や2年なんて誤差の範囲にすぎないよ」と。その一方で、メールをすれば無視をされ、会って話をすればすぐに意見を翻す。表では心配してるふりして、裏では匙を投げてたらしいね。あぁ、“地獄への道は善意で敷き詰められている” んだな。

 カッターナイフを手首にそっと添えてみる。だめだ、やっぱり出来ない。もっとも、本気で死ぬつもりなら頸動脈くらいじゃなきゃダメだけど。死を掴むためには、一体何が足りない?