哲学とは死の訓練である*1

 働くということの意義を見いだせないところに、耄碌クソジジイによってアイデンティティの喪失に拍車が掛けられたわけで。例えるなら、夏の冷害で作物がやられた上に、例年にない厳冬でもはや壊滅的な寒村。

 神のお示しによって血生臭い出来事を起こすことになろうとも、それは致し方が無い。死ぬことばかり考えていたら、頭が痛くなってきた。発狂してしまえば、理性をがんがんに犯して、ついにその行為に至れるのであろうか?

 ともかく、人間自身が人生を組み立ててゆけるだなんて、馬鹿らしく驕った考えはもう辞めにしよう。ちっぽけな人間がどうあがいても、見えざる大きな潮流を前にしては意味など持たない。全ては、神様が決めることなのだから。他力本願で、いつの日か自分を殺めることを夢見て、残された日を過ごしていく他ない。

 明日、死ねますように。

追伸:どうでもよいことだが、こんなものを始めてしまった。というのも、バレンタインに因んだCMで凛たんの「よかったら、このチョコあげる」という台詞の破壊力にやられてしまった。凛たん、ぐうかわ。