時を駆けよう

 自殺は、言うなれば神様が救済のためにボクを殺す事なのだと思う。だって、ボクの理性はすぐさま実行に移さないまでも、ボクに自殺をちらつかせているわけで、じゃあボクの理性は完全にボクの意思に基づくかと言えば、そうじゃないと(ボクは)思う。
 人は常に善くあろうとするけど、じゃあ何が‘善いこと’かが問題だ。プラトンイデア論はそれを論じているけども、ボクはボクの中の内なる声こそが‘善いこと’の源泉となると考えてて、直感的に善悪の判別をする能力は神様によってあらかじめボクらの中に備え付けらたもの。カントの言うように、まさしく‘理性の二枚舌’なのかもしれないけど、本当に悪いことであるならば、これほどまでに自殺を肯定しないはずだ。まぁ、別に自殺じゃなくても、ボクが死ねればそれで十分。
 で、人生に一番効く薬は時間。時にしか解決できないこともあって、ボクが抱えている問題もその類なんだと思う。でね、人は誰しも死を避けられない。いわば、‘存在’が位置する時間軸の末端で、今この瞬間も少しずつ近づいている。時間を手に入れるためには、どうしたらいい? ボクらは神様じゃないから、時間の流れを変化させることは出来ない。だけども、時間軸上にある取るに足らない‘存在’をすぐさま末端に置くことは出来る。そうすれば、大いに時間を取り込むことができる。そう言った意味で、自殺はある種のタイムリープだとボクは主張したい。