僕は自己分析が出来ない

 誕生日らしく、大学に出向いて添削してもらってきました。誕生日だったので*1。そこで「自己分析が出来てないね」と有り難いお言葉を頂きました。

 そりゃそうだろうよ、死を待ち焦がれてるんだからさ。合理論的に言えば、ボクの明晰判明な理性による懐疑によって導かれた真理こそが「己、死すべし」なのだから。経験論的に言えば、ボクという存在を唯一無二なものとするには、‘死’という経験が不可欠だと不完全なボクは悟ったわけで。いずれにせよ、狂おしいまでに死に憧れている状態で、働くために、もといその存在を前提とした自己分析することができるであろうか?*2 その衝動は低いものの、死に対する抵抗がほぼ無いので、「あぁ、神様。良い子にしますから、ボクを早く殺してください」と祈る毎日。いざとなれば、自分で。

 そうそう、お父さんから「誕生日おめでとう」のメールが送られてきて違和感。だってさ、ボクという存在が意志を持って無から発生したとすれば、「よくぞまぁ、世知辛い世の中にお出でなさりました」と言われてもおかしくないのだけど、ボクの発生の原因はとっつぁんの種付だろう? 本来ならば、ボクが「父上と母上の血を受け継ぐことができて、私は本当に幸せでございます」と頭を地面に擦りつけて感謝しなければいけないのだろうけども、残念ながら己の生に懐疑的な立場であるゆえ。その一方で、誕生日のお祝い*3は何も言わずに頂戴しますが。

 魂が肉体に囚われて、20うん年。魂には不自由な思いをさせ続けて、頭が下がる思いだよ。神様がボクを殺す日まで、もうしばらく辛抱しててね。そう考えると、誕生日もそう目出度いことじゃない、むしろ魂の命日と言った方がいいのかもしれない。

*1:大事なことなので2回言いました(皮肉を込めてね)

*2:いや、できない<反語表現>

*3:諭吉さん達 ボクは現金なので