時間考2

 時として、命を灯に例えることがある。ボクの考える時間論にこの例えを当てはめてみる。

 人間は1本の蝋燭であって、長さや太さ、溶けやすさはそれぞれ異なる。その蝋燭にはわずかばかりの明かりが灯っている。
 結局のところ、人生とは暗闇に隠された真理を探し求める行為に他ならない。残された時間を知る術はなく、灯が消えるまでに見つかるとも限らない。

 ボクの灯から得た知見。
 Ⅰ.現にボクという存在がそこにある存在する以上、死は免れない。
 Ⅱ.存在している間の時間的猶予は、死に対する準備期間である。
 Ⅲ.人間は社会的な生き物であり、社会と齟齬をきたすのはボクという存在が何らかの欠陥を有しているからである。
 Ⅳ.最終的に信頼に値するのは自分自身の経験のみである。
 Ⅴ.大多数の幸せはその量的関係から相対的なものであり、虚像に過ぎない。自己の確立こそが絶対的な幸せである。
 Ⅵ.その方法論として恋愛であるとか仕事であるとか、やり方は多岐にわたるが、自殺もまた選択肢の1つである。
 Ⅶ.死の束縛から逃れられない以上、その行為の持つ意味を十分理解した上で殺意の刃を自分に向けることは許容されるべきではないか。
 Ⅷ.時間の経過に伴い、内的な時間軸に占めるある事象の割合が小さくなることによって、時間は万能薬のような振る舞いを見せる。
 Ⅸ.時の流れを直接操ることは出来ないが、いつか来る死に自ら飛び込む行為によって、予定されていた死に対する時間的猶予を一挙に手に入れる事が可能となり、ある意味で時間を超越したと言える。
 Ⅹ.いま、この駄文を書き連ねているということは、理念と反して死に損なっていることに他ならない。

 理論と現実の狭間で、自らの死を夢見ながら葛藤する毎日。