灰谷健次郎/兎の眼


1限で「因幡の白兎」の話を聞き、空き時間に「兎の眼」を読み進め、残していた数十ページを帰宅後に読み終え、読了。もともと児童文学として書かれていたためか、語彙は平易なのだが、所々にはっとするような内容。
悪人が全く出てくるわけではないが、読み手が悪人に対して憎しみを抱かせるような描写(たしかに、主人公と対立する悪役を出して、懲らしめる様な話は単純で分かりやすく、‘受け’が良いのだろうが)が皆無。どちらかというと、敵となるのは人間の持つ偏見や社会の歪みといったテーマである。読み終えて、清々しい気分になった1冊だった。

ボクの一行

ものをあつめるところはカラスの貯金ににているが、処理所の子どもたちは、廃品を利用してものを作る心の貯金をしている、と小谷先生は思った。

モンスターペアレントが教育現場を荒らし始めて久しいが、「自分の子供さえ良ければそれで良い」という利己主義が服を着て歩いているような輩共に聞かせたい言葉がある。

「一部の子どものためにみんながめいわくをこうむる、私たちははじめそう考えていたのです。しかし、それはまちがいでした。よわいもの、力のないものを疎外したら、疎外したものが人間としてダメになる」

「先生」と呼ばれる職業は夢や理想で何とかなる仕事ではない。加えて、‘害虫’が現場を荒廃させているのだから、本当に大変な仕事だと思う。だからこそ、中途半端な熱意で就いてはならない。ボクの教員免許はおそらく、段ボールの片隅に仕舞われ続けるのだろうね。