高坂原論9

■他人の予定を狂いに狂われる葬式と言う悪しき習慣

こんなこと書きたくもないのだが。

祖父の葬式のよって大いに狂わされたボクの日常

  • 地元に留置のパソコンの調子が悪くて、そのリカバリー作業をするためにねぐらのデスクトップを使って外付けHDDのデータ―を移していたのさが、デスクトップのBDドライブ がいかれる。
  • 大して面識も無い親族やら隣組が面倒臭い
  • ロビーの片隅にあるテーブル席に座っていたら、隣組の連中が同席してきて下っらない話で耳を犯されて嫌気が差してきたんで、最初に座っていたボクが移動するはめに。ほかのテーブルが開いてるんだから、他のせいに座れや。聞きたくもない話しを聞かせやがって、この脳足りん共は。
  • 和尚さんの「六道」の話。争い合いのこの世の中は人間界ではなく修羅の世界だボクは思うのですがねぇ。皆、天国に行けるとでも思っている単純さがあぁ、あまりにも都合が世済みませんか?
  • 人間は生まれながらにして罪人なのです。
  • 罪人であるボクは、むしろ地獄に送ってもらいたい。閻魔様に気に入られて、釜ゆで地獄の清掃係でもやるほうが天国なんかにいくよりはずっとましだ。
  • 告別式の木曜は仕方ないとして、ここ2日の疲れをずっとひきづったまま、2時間もない仮眠で金曜の1限から授業に出れるわけがない。

葬式何て「通過儀礼」といっても、葬式に関してはその主体は個人ではなくて残された遺族で会って、気持ちの整理みないなものでしょう?ぞりゃまぁ、残念なことだとは思うが、生きる権利も死ぬ権利もあるのだから、生きている人間がハッキリとしないある種の‘通過儀礼’によって(自分の欲望・考え・打算に基づく)生きる権利を迫害する権利など、まったくないと思うのですが・

もう葬式には出たくない。お願いですから、ボクのことを放っておいて下さい。申し訳ないが、祖父の入り連の通過儀礼に巻き込まれ、ボクの平穏の日常をぶちこわしにしたことは許す事はできません。いくら故人であれ、「殺してやりたい」という気持ちを強く抱いていることは確かなのですから。