高坂原論11

■煉獄について

煉獄、である。見方によっては「本厚木駅東口」のように思えなくもないが、それは錯覚であって、断固間違いである。

煉獄と聞くとおどろおどろしいイメージがあるが、実際は無機質な地下道のようなものだと思う。それこそ、真夜中の新宿駅の地下通路よろしく、人っ子一人見当たらないところを審問が行われる場所まで歩いていくのだ。自分の生における行為の是非を自問自答しながら。思考を集中させるために、無機質な場所を慫慂するのだ。座ってぼんやりとしているときよりも、歩いているときのほうが案外考え事には向いている。

神様は全てお見通しだから、考えているふりをした時点で地獄行き。自分に少しでも甘い判断を下しても地獄行き。煉獄での取り組みが審問の結果をすでに決めているのだ。

ボクはさらさら天国にいけるとは思っていないし、むしろ自分がいかに卑屈で価値を持たない人間であるか審問で雄弁に語るだろう。最期くらいは、自分に素直になるべきだと、ボクは思う。