高坂原論14

■死について
今日の社会学の授業は「自殺と死別」についてだったので、おおっぴらに「自殺」や「死」という単語が書けて満足。書いていくうちに、あかぎれで絆創膏をしているのでシャーペンがうまく持てず、元来字が綺麗ではないこともあって「死」という漢字がぐしゃぐしゃになる。簡単な漢字だけれども、純粋に美しい漢字だと思ったり。

時折話題にする「ログホラ」(面倒くさいので各自調べてください)を読んでて思ったこと。ボクは自殺や死を肯定的に捉えているけれども、それを実行する勇気がない。なので、ずるずると生きながらえてしまう。一般に、死は忌み嫌われる概念のように思われて、なのでそれに対する反発が生の原動力なのではないかと思う。さて、生きることも死ぬこともままならないボクは果たしてどうすれば良いのだろうか?

最も自殺率が高い世代は20〜24歳だそうだ。次いで25〜29歳、30〜34歳。男女では男の方が自殺者数が多く、自殺者の職業を分類すると無職が6割(だったと思う)らしい。科目等履修生の身分ももうすぐ切れるし、そもそも潜在的無職に等しい。そして、もうすぐ2回り目の干支を終えようとしている。ひょっとして、自殺の適齢期なのでは? きっと神様も「おお、あかなよ。お主が自殺に踏み切れるように条件を整えてやったぞ。なぁに、感謝はいらぬ。それよりも『善は急げ』じゃぞ!」と言っているに違いない。

ここで自殺が出来なかったら、当分機運は巡ってこないように思えて仕方ない。機運と言えば、古代ギリシアの哲学者タレスの逸話を思い出した。

タレスは、結婚を勧める母親に対して結婚を拒み続けた。青年だった頃の適齢期に、結婚を勧められると「まだ、結婚する時期ではない」と言い、年齢を重ねてから結婚するように言われると「もはや結婚するような時期ではない」と言った。

いつ(自殺を)するの?
もうちょっと後かなぁ。15日には「大日本サムライガール」の新刊も出るし。はっきりと(ドヤ顔で)「今でしょ!」と言えないあたりに生に対する未練がちらりと見え隠れ。まぁ、この生は有限なものだから、だらだら過ごせているうちはだらだらしたらいいじゃない。そして切羽詰ったら自殺しよう。

旅行と同じで、自殺(片道の旅行みたいなものですしね)も計画を練っているうちが一番楽しいのではないかと思う今日この頃。