高坂言論17

■行為について
 旅行という行為を成立させるためには3つの要素が必要だと言われている。
1.時間
2.お金
3.健康
説明するほどのことでもないので、容易に納得できるだろう。もっとも、最近の旅行を取り巻く情勢は「遠・高・長」から「近・安・短」に移り変わっているようだが。この三要素は旅行に限った話ではなく、すべての行為に適応できるものだと思う。より完璧にするために、3つめの要素である健康を置き換えてみる。

1.時間
2.お金
3'.能力

健康は一種の能力とも見なせ、なおかつ健康な状態でも人間の心理(能動的であるか受動的であるか)、すなわちやる気が行為に対して影響を及ぼす。やる気の調整も能力と言えるだろう。

 行為はこれら3つのリソースの配分によって成立するが、やはり能力というファクターが大きく左右しているように思う。時間やお金は、乱暴な言い方をすれば何とかなるものだ(莫大な量を必要としなければ)。何かを達成ために能力が不足していれば、能力の拡充という予備的な行為を踏まえる必要がある。

 「いざとなったら自殺すればいいや」くらいの感覚でいるのだが、それでも自殺という行為に対するハードルは高い。やはり、自殺するにも能力が必要なのだ。高所からの飛び降りに憧れているが、抗力を有する状態から質量mのボクを自由落下させるためには、内向きかつ負のエネルギー(それも一定量の)が必要なのだ。このとき、行為の実現可能性に影響をもたらす能力はもっぱらやる気の問題である。

 行為の指向性(内と外、正と負)という点に着目してみると、次の4通りに分類できる。

1.外向きかつ正…他者に対する創造
2.外向きかつ負…他者に対する破壊
3.内向きかつ正…自己に対する創造
4.内向きかつ負…自己に対する破壊

ボクの自殺については4.に分類されると前述したが、‘ボクという存在’の破壊は‘ボクの死という事象’の創造に他ならず、創造・破壊という概念は表裏一体のものであることに留意しなければならない。

 やはり、今のボクに足りない能力は哲学的な要素であると思われる。かのソクラテスに対して、友人であるカリクレスは次のように説得した。

人生のしかるべき時期に節度をもって哲学を学ぶなら、哲学は可愛いオモチャだ。しかし、節度を超えて哲学を追求するなら破滅する。

哲学を齧ることがボクにとって薬として働くのか、はたまた毒として働くのかは分らないが、いずれにせよ哲学に引き寄せられ、それに基づく知識や思考法を希求していることからもある種の必然のように思われる。惜しむらくは、ボクに哲人たちの思考を理解できるだけの能力が不足していることなのだが。