高坂言論18

■偽善について
 高坂言論17で行為を4つに分類した。

行為の指向性(内と外、正と負)という点に着目してみると、次の4通りに分類できる。

1.外向きかつ正…他者に対する創造
2.外向きかつ負…他者に対する破壊
3.内向きかつ正…自己に対する創造
4.内向きかつ負…自己に対する破壊

 ボクらが他者に何か働きかけるとき、その行為はこの4つのうちの2つにまたがっていると思われる。なぜならば、行為は他者へ影響を及ぼすと同時に、自己にも影響を及ぼすからである。

 具体的に分りやすく言えば、何らかの見返りを見込んで他者に働きかける行為=偽善は1と3の組み合わせである。同様に、自らの利益のために他者を欺く行為=不義は2と3の組み合わせ、他者のために何らかの損害を自らが被る行為=自己犠牲は1と4の組み合わせとなる。相応しい単語が思いつかないが、残る2と4の組み合わせも存在するだろう。

 「やらない善よりやる偽善」という言葉もあるくらいだし、別に偽善を否定するつもりはない。しかしながら、他者の働きかけに損得勘定を持ち出しているのが情けないのだ。もちろん、これは自分に対する戒めであるが。そういった意味で純粋な善というものは自己犠牲的な要素を含んでいるのかもしれない。

 見返りを求めず他者に尽くすことができる聖人。自らのために他者を蹴落とすことを厭わない悪人。対極にある両者だが、共通していることはその行為が他者に働きかけるものであっても1つに絞られているという点である。(聖人の行為=1、悪人の行為=3) そのどちらにもなれない偽善者だから、ボクはダメなのだと思う。あぁ、偽善者の苦しみよ。