#10
■「自殺について」講読(9)
◆自殺について
この世の中で、それぞれ自分の身柄と生命とに対するほどに・争うべからず権利を、他のなにものに対しても有っていないことは、極めて明白である(後略)(p192~)
- まったく感覚を欠いた自殺は「不正」であるという認識
- 自殺に関する問題を道徳的感情によって決裁する
- ひとつの罪を犯す:激しい憤り、不快な区分、処罰や復讐の要望
- 自由意思による死:哀悼、同情(+勇気に対する讃嘆)
- 「聖書」には自殺を罪とする根拠が示されていない
- 死は、わたしたちに必要な最後の隠れ場所であり、なんで坊主どもの命令や許可を受けなければならないのであろうか
- もし、人が自殺未遂を罰するのなら、それは、自殺をやり損ねた・手ぎわのまずかったことを、罰するにとどまる
「神でさえ、決して、万能なわけではない。というのは、神は、みずから欲しても、自殺することができないのだから」(p196~)
自殺は、苦患に充ちたこの世の中を、真に解脱することではなく、或る単に外観的な―形の上からだけの解脱で紛らわすことである(p199~)
- 自殺は、最高の道徳的な目標に到達することを逃避することになる
- ショーペンハウエルの考え
- 自殺はまぎらわしに過ぎない
- キリスト教の考え
- 受苦が人生の本来的な生の目的→自殺はその目的に背く→非難
- 禁慾主義的→遥かに高い倫理学的な立脚点においてのみ適用され得る
- 自殺を弾劾する牧師たちは真に禁慾主義的理由を示せているか?
死の恐怖のもつ抵抗力は明らかに強大であり、死の恐怖は、いわば、生よりの出口の前にがんばって立ちふさがる門番のようなものである(p201~)
- 生きようという意志の顕在である肉体の壊滅こそ、死の恐怖をもたらす
- 激しい精神的苦痛は肉体的苦痛を無感覚ないしは軽減させる
- 自殺はひとつの実験、あるいはひとつの質問とも考えられる
- 人間の存在と認識とは、死によって、いかなる変化をこうむるであろうか?
- その答案を受理するはずである意識との同一性は揚棄される
- 気の利かない実験と言わざるを得ない