高坂原論20

■死生観についての補足(実質19-1)
キリスト教受容による人々の死生観。以前はその違いが漠然としていて連続性を持っていたのだが、以後に持ち込まれた罪の文化と死後の救いが死生観を断続的なものにしていまい、人々に「死=恐ろしい物」という印象を植え付けている。これこそが悪の元凶だ。

それこそ、出雲の山奥にある黄泉比良坂なんかは「生と死の連続性」の体現ではないか。だから、死は恐れるものじゃない。本当に恐れるべきものは、醜い生なのだよ。それでいて死後の救済を求めるだなんて、えらく都合の良い話にしか聞こえないね。