廃棄物140917

写像理論」

客観的世界=真理を映し出すものは一体何か? 近代哲学ではそれを意識と考える一方、ウィトゲンシュタインは言語がそれであるとして「写像理論」を唱えました。後に、真理の存在を認めない「言語ゲーム論」へと転換されていくのですが。
真理がないとすれば、鏡に映しだされた世界は虚像で、「私」という概念さえ主観の産み出した質量を持たない単なる概念に過ぎないのではないか? 鏡の中の「私」は問いかけます。「お前は何者なのだ」、と。

技量があれば、差し込む夕日の陰になり階段の踊り場に立ち込める怪しい雰囲気も再現したかったのですが。ぐしゃぐしゃにしてもしょうがないので、ここは戦略的撤退ということで。限られた技量の中で、何とかして創造されて量産されていく廃棄物たち。ここは現代の賽の河原なのかもしれません。