箱庭療法

箱庭療法

あれは自分の内面を上手く表現できるだけの言語力が備わっていない年代の子供にむけたもので、用意された人形なり模型を配置した箱庭から子供の内面を把握するという療法なんだそうですね。さじ加減ひとつで解釈が変わる、ものっそい雑な療法にしか思えないんだけど。

アンチ心理学というわけじゃないけど、科学的に効果が疑問視されているロールシャッハテストに未だにこだわり続けてる時点で、個人的に「心理学ねぇ……」と思ってしまいます。

諸学問は主観というものを徹底的に排除することでその地位を確立していったわけで。自然科学しかり社会科学しかり。そして、残された主観的な問題を一手に担う学問こそ哲学に他ならないのです。

なので、「認知行動療法」という大義名分で全てをクライアント個人の問題として押し込めて、認知という主観の領域にずかずかと土足で入り込み、「お前の考え方は間違ってるから変えろ」とのたまう。だから心理学は嫌いなんです。あんなのインチキですよ。

一方で、意識に焦点を当てて客観的世界から普遍性を取り出そうとするのが現象学。知覚された世界は個人の意志で変えることができない以上、世界とアダプトするためにはやはり個人の認識を変えるほかない。上でこき下ろした「認知行動療法」とやってることは同じだと思うのだけど、こっちは抵抗感がないどころか「フッサール先生、さすがぁ!」とか思っちゃう。やはり「主観」に介入できる特権は哲学だけが有しているもので。「心理学ぅ? 治外法権すんな、クソが!」と。やっぱりアンチ心理学ですね、ボク。

で、何が言いたいのかというと、箱庭療法は人形・模型が限られている以上、再現したくてもできないという場面もあるわけで。今のお絵かきセラピーも全く同じ状況。頭の中で描かれたイメージを具現化するだけの技量がない。となれば、この試みは果たして意味があるのかどうか、疑問符がついてまわる。

というような話をしたかったのだけど、結局心底心理学を嫌っているということが半分以上を占める始末。

あ、精神医学は別ね。心なんて抽象的な概念を持ち出さず、脳の神経受容体に作用する物質で改善していきましょうだなんてものっそい客観的じゃん? アルプラゾラムさまさま。