「倫理資料集 ソフィエ」まとめ2(現象学1 フッサール)

本来なら、近代哲学の祖であるデカルトから大陸合理論と英国経験論の分離・統合を経てカントからヘーゲルに至るまでのドイツ観念論が来てからの実存主義なのだけど、取り急ぎ、今回から大学の講義で取り扱われるフッサールだけ簡単に予習。

フッサール
ウィーン大学でブレンターノの講義を聴講し、数学から哲学研究へと方向を転じる。フッサールの哲学は主観に生じた現れ(現象)を分析して事象の本質に迫る現象学である。現象学を厳密な学問として確立するために、「主観はどのようにして客観を捉えるか」という認識論上の難問の解決を意図し、ハイデガーサルトルメルロ=ポンティレヴィナスらの研究に大きな影響を与えた。

  • 主観はいかにして客観に一致するか

デカルト以降の近代哲学の課題は「人間がいかにして外界の事物を認識できるのか」という点であった。物自体の認識を不可能と論じたカント、絶対精神の弁証法的展開を論じたヘーゲルは認識する主観と認識される客観を一致させようと試みた。
一方でフッサールはこの世界認識を現象界における物自体の表れと捉え、その本質を究明しようとする試みが現象学である。その方法は、意識はつねに何ものかを志向し、、何ものかを意識に現出させる自己意識の働き(ノエシス)によって自己意識に現れた対象(ノエマ)に即して、内容と本質を直観により定立するものである。

現象学的還元とは、事象の本質を直観によって定立する認識の方法のことを指す。現象学は自己意識の「現れ」に即して分析し、事象の本質の確定を心みる。認識とは自己意識に現れた「何ものか」についての意識であり、自己意識はその何ものかへの志向性を有する。フッサールは意識の現れた「何ものか」の「現れ」を直観によって記述しようとしたが、その根拠・条件として、意識の志向性(ノエシス)とその働きによって現出した対象(ノエマ)に関して一切の判断停止(エポケー)が不可欠としている。

フッサールの記述が1ページにも満たないので、要約してもこんなもの。以前まとめたやつも合わせて。現象学の入門書、買って積んだままだ。見つけ出して、読まないと。