「倫理資料集 ソフィエ」まとめ4(ドイツ観念論1 カント)

○カント
カントは東プロイセンの港町ケーニヒスベルグ(現在のロシア・カリーニングラード)に生まれた。16歳から22歳まで苦学してケーニヒスベルグ大学を卒業し、約8年地方で家庭教師をした。31歳の頃、ケーニヒスベルグに戻り修士号を取得し、母校の私講師をしながら次々に論文を発表する。46歳の時、ケーニヒスベルグ大学の論理学・形而上学の教授となり、その後も80歳でこの世を去るまでケーニヒスベルグを離れることが無かった。
当初は自然科学分野の論文が多かったが、自然科学における因果法則などの確実性に懐疑の目を向けたヒュームの影響により「独断のまどろみ」から目覚め、またルソーからは人間愛を尊重することを学んだ。
カントは理性能力を吟味して経験論と合理論を総合し批判哲学を打ち立て人格の自由と尊厳を意志の自立によって基礎づける道徳哲学を構築した。

  • 物自体

われわれの認識は物それ自体のそれではなく、われわれの先天的な感性の形式である時間と空間の中で現れる現象を認識しているのであり、物自体は知り得ない。神や自由、霊魂などは純粋理性によっては論じられない問題であり、「実践理性」によって基礎づけられる問題であると考えた。
◇私は何を知りうるか=「純粋理性批判
理性の働きについて論じるとともに、現象界における人間の認識能力の限界を定めた。ヒュームの経験論を徹底した結果、自然科学における法則までもが疑わしいという結論に至り(「独断のまどろみ」)、理性能力そのものの吟味・批判へと向かった。その結果、先天的に人間に備わっている悟性という思考の枠組みを提示することで因果律に従う現象界の認識に関わる理論理恵意を提示し、自然科学の妥当性を裏付けた。

  • 善意志

優れた才能や気質、財産はそれをいかに用いるかを決める意義が善意志でなければ、逆に有害なものともなり得る。それゆえ無条件に善と見なされるものは善意志だけであり、高位の道徳性を判断する基準を善意志に求めた(動機主義⇔結果主義)。

定言命法とはカントの道北法則の根本原理であり、自分だけに妥当する主観的な意志の決め方である格律が「いつでも、どこでも、すべての人がなすべき法則として通用するように行為せよ」と命じることである。人間は理性的存在であるが、同時に感情や欲望に支配される感性的存在でもあるから、普遍妥当性をもつ道徳法則は人間の主観には意志の強制、すなわち良心(実践理論)が命じるものである。

  • 人格の尊厳、自律と自由

人格と亜、自らが立てた道徳法則に自発的に従う主体のことである。それに自ら従う(自律する)かどうかは人間の自由であり、ゆえに人格は神聖なものであると言える。さらに人格は決して手段としてのみ扱われてはならず、ほかの何ものとも交換することができない絶対的価値(尊厳)を持つ目的自体として扱われなければならない。
◇人間は何をすべきか=「実践理性批判
実践理論が打ち立てた普遍的道徳法則にわれわれ主体が自発的に従う意思の自律にこそ人間(人格)の尊厳があり、それゆえに人間はつねに手段として扱われてはならず、目的として扱われなければならない。

  • 永遠平和と国際平和機構

法的拘束のない自然状態における諸民族の関係は非常に不安定なものであり、戦争という手段に頼ることなく、理性によってもたらされる永遠平和こそ人類に課せられた永遠の課題であると考え、それを目指すべきとした。
カントの永遠平和論の特徴は目的の国の実現であり、カントは市民社会に統制する国法の制定が不可欠であると考えていた。カントの永遠平和論は紛争や武力ではなく強敵によって国際原理を保つという理論がよって「世界機機関」が売られる湯になる。これは国際連盟国際連合の先駆けである「、