「自由からの逃走」講読1

twitterの戯言アカウントをブログと連動させているので、自動的に作成される毎日の戯言と重複する部分がある毎日の動静をわざわざブログに記録するのも面倒に感じ、ここ2ヶ月は縮小営業。ただ、戯言アカウントの退行化が酷くて事あるごとにクマクマ言っているのもどうかと思ってはいたわけで。一応、「わおん!ろぐ−オオカミ狼狽日記−」なので。

ちなみにこれが元ネタの球磨さんだクマ。おっといけない、油断するとすぐこうなる。

閑話休題*1

ボクが「神様」と密かに呼んでいる哲学の先生*2からエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を勧められた。早速買ってはみたものの、数ページ読んだだけで正直げんなりしてしまい手が止まる始末。これじゃ「神様」に合わせる顔が無い*3ので、内容を整理しつつまとめることで‘課題図書’を読み進めることができ、ブログの活動も再開してクマからオオカミに戻れるのではないかかという試み。

哲学を多少齧っているので哲学者の名前はそれなりに知っているつもりだったが、エーリッヒ・フロムという人物を全く知らなかった。手元にある高校の教科書(倫理、現代社会ともに)に人物の紹介が乗っていたのでまずはそれを引用しておく。

社会学の立場で精神分析を行い、大衆がナチスを支持した理由を、自由からの権威にすがろうとする権威主義的性格と分析した。フロムは宗教的・経済的・政治的権力からの解放である「〜からの自由」にとどまらず、みずからの意思で主体的に行動する「〜への自由」を主張した。主著『自由からの逃走』。

以前読んだ『本当にわかる哲学』では取り上げられていなかったが、フランクフルト学派の第一世代(ハーバーマス)という位置づけらしい。どちらかというと心理学者寄りに思われる。では早速、本題に移ろう。

◆第一章 自由−心理学的問題か?

  • 近代のヨーロッパ及びアメリカの歴史
    • 政治的・経済的・精神的な枷から自由を獲得しようとする努力の連続
    • 教会、絶対主義国家といった外的な支配の廃止=個人の自由という宿望の獲得
    • ファシズム・ナチズムの出現:特定の国家における問題ではなく近代国家に共通するデモクラシーの危機
  • 自由とは何か
    • 自由の実現は大切な目的であるとともに自由は耐えがたい重荷でもある
    • 自由における社会過程と心理的要素の関係性
    • 「世界・人間=合理的な存在」とする近代デモクラシーに対するニーチェマルクスフロイトらの批判
  • フロイトによる分析
    • 人間の行動における非合理的・無意識的な力の観察と分析
    • 社会:根本的に反社会的な人間の基本的衝動を抑圧し、文化へと昇華させる
    • 対人関係:個人主義的、経済市場との類似(欲求の満足の交換、目的に対する手段であり目的それ自体ではない)
  • フロムによる分析
    • 個人と社会との関係は相互的で人間の個体差は社会過程の産物
    • 社会心理学:社会過程の結果としての歴史ならびにその歴史が原因となって社会過程を形成し人間にどのように影響を及ぼすかを解明
  • 適応と欲求
    • 「静的」な適応:全体の性格構造は変化しない単なる行動様式への適応
    • 「動的」な適応:性格構造に変化をもたらし新しい衝動や習性をもたらす
    • 衝動や習性に基づく欲求は人間性に内在的なものではない
    • 生理的に条件づけられた要求(食事、睡眠)=人間行動の第一次的動機
    • 生理的要求を満たすための手段としての「仕事」
    • 生きようとする要求と社会組織との二つの要素は人間にとって原則変更できない
  • 人間の性格構造と生活様式
    • 経済組織の特殊性によって定められる生活様式が個人の生活構造の基盤となる
    • 生活様式と習慣の本質に基づく人間性の強制的な要求:孤独の回避
    • 集団への帰属を通じて、自己のアイデンティティが形作られる
    • 精神的な孤独は存在の無意味さをもたらし、生きる力を失わせる

◇高坂あかなのまとめ
自由というものを得るには義務を果たさなければならない。これがボクの持論*4 である。自由を希求する一方で、いざそれを手に入れると重荷となって圧し掛かる。ある意味で、自由は「あらゆる選択肢の内から望ましい(と思われるものを)選び取る義務」なのかもしれない。本書を通じて、漠然と理解しているつもりの人間と自由の本質をわずかでも抉り出せればと思う。

*1:「脱線した話を本筋に戻す」というのが正しい意味だと最近知った

*2:こんなちんちくりんに懐かれて、本当に迷惑をかけているとは思う

*3:せっかく勧めてもらったので、せめて読んだ感想くらいは伝えないと

*4:読了後に変わるかもしれないが