「自由からの逃走」講読2
◆第二章 個人の自由の解放と自由の多義性
- 個人の生涯と個別化
- 母親の体から離れた一個の生物学的存在としての子供は完全に解放されてはいない
- 第一次的絆:個別化(=成長)の過程における安定感や帰属感
- 個別化が完全な段階に達し、第一次的絆からの解放されると、個人は自由という概念を具体的に検討させる課題に直面する
- 個別化の過程で第一次的絆を断ち切り、自由と独立を求るようになる
- 個別化の二つの側面
- 個別化と自由
- 聖書における楽園追放
- 人類の歴史の始まりである選択という自由な行為は罪深いものである
- 神の命令への反逆=調和の世界の破壊=人間においては自由←強制からの解放
- 楽園の甘い絆からの自由≠自己の支配、個性の実現への自由
- 個別化した人間と世界を結びつける唯一の解決策
- すべての人間との積極的な連帯と、愛情や仕事という自発的な行為
- それらは人間を自由な独立した個人として、再び世界に結びつける
- 近代社会における自由の多義性:独立性の獲得と個人の無意味さ・無力さの形成
◇高坂あかなのまとめ
個別化というのは、言い換えれば「大人」として自らの居場所を自らの手で掴み取ることである。飲酒や喫煙、婚姻といった年齢を基準にした制度的権利として与えられるものではなく、独立した個人としての自分と世界の結びつきは自発的な行為を通じて構築していく新たな絆と言える。ただし、自由というものの本質は解放と逃走の二面的なものであることに留意しなければならない。自由は希望をもたらす薬か、はたまた死に追いやる毒か。