「自由からの逃走」講読6
- フロイトの理論
- 権力への追求
→力=支配か能力か
- 権威主義的性格の抱える問題
- 魔術的な助け手
- 自分の外側に人間を保護し、助け、発展させ、孤独から逃れさせないように作用している力を人格化して捉えていることがある
- ex)神、原理、両親、家族、上司など
- 人格化された魔術的助け手と関係を結ぼうとする人間は肉欲を求める
- 恋愛関係においては同伴者に愛着を感じ、意識的・無意識的に全ての行動、思想、感情が意識的・無意識的に同伴者と結び付けられる
- 共棲的衝動と等しい原理に起因し、魔術的な助け手に依存することで自己から逃れようとする
- 魔術的助け手が人格化されている場合、時として失望が伴う
- 自分の外側の対象に生涯を通じて依存しようとする現象をフロイトが指摘している
- 人間の正常な成長とは、完全な自己放棄によって周囲に適応することで正常であると認められるようになることである
- あらゆる神経症は基礎的な依存性と自由との探求の矛盾を解こうとする、本質的に成功しえない試みとして理解することが出来る
- 自分の外側に人間を保護し、助け、発展させ、孤独から逃れさせないように作用している力を人格化して捉えていることがある
◇高坂あかなのまとめ
サド・マゾヒズムは権威に起因するものであり、志向性は異なるものの、他者に対する依存が根底にあるという指摘は興味深い。一方で、運命や神の意志、義務といった表現で捉えられる宿命に対しても権威主義は反発し、他者との共棲を通じて自己存在を保とうとする働きは、フロイトが指摘する自己放棄による周囲への適応と対極に位置する。常日頃思っていることなのだが、確固たる自己というものなど存在せず、他者との関係性によって自己が与えられるのではないかと考えているので、個人的には他者との関わり(その方法はともかくとして)を重視する権威主義には共感する部分がある。
フロイトの「精神分析入門」は買ったものの読めていないので、機会があったら読んでみたいところではあるが。