「自由からの逃走」講読10
◆第七章 自由とデモクラシー
1 個性の幻影
- 近代デモクラシーの本質
- 教育と感情
- 初期の段階で敵意と嫌悪に基づく感情が抑圧される
- 外界に対する敵対的な反作用を取り去ることが教育課程の本質的な目標
- 社会的圧力による「自分のものではない」感情の植えつけ
- ex)他人を好むこと、無批判的に親しくすること、微笑むこと…
- 教育によって自発的な感情が広く抑圧され、にせの感情に置き換えられる
- フロイトが指摘する性の抑圧
- 初期の段階で敵意と嫌悪に基づく感情が抑圧される
- 禁じられた感情
- 悲劇感の抑圧はパーソナリティの根本に深く影響する
- 死の意識と生の悲劇的な面の自覚は人間の基本的性格のひとつである
- いかなる文化も死の問題に対して独特の方法を持っている
- 死や苦悩の自覚=生に対する強力な刺激となる
- 不条理な死の恐怖と向き合わず抑圧することが、経験の平板さと日々の焦燥を生み出している
- 科学に基づく精神分析
- 独創的な思考を阻害する要因
- 知識、とりわけ情報の強調
- 「より多くの事実を知ることで真実の知識に到達する」という迷信
- すべての真理を相対化して捉えること
- 相対主義=思考に与えられる本質的な刺激である人間の願望と関心を喪失させる
- 真理の探究は個人や社会集団の関心や要求に根差している
- 真理によって利益を得る一方で、真理を隠蔽することで利益を得ることもある
- この場合、関心を持つことが真理を掴むことに有害となり、どのような種類の関心を抱くかが問題である
- データを氾濫させ、重要な問題をぼかすこと
- これらによって自分自身の思考や決断を行う勇気を失わせ、批判的な思考能力を麻痺させている
- 知識、とりわけ情報の強調
- 意志的行為における独創性の欠如
- 現代人はあまりにも多くの欲望を持っている
- しかし、彼らは自分の追求している目標が、彼ら自身欲しているものかどうか考えていない
- 「自分の欲することを知っている」という思い込みに過ぎない
- 実際には、欲すると予測されるものを欲しているに過ぎない
- 個人という幻想
- 私たちの願望や思想、感情は純粋に私たち自身から生み出されたものではなく、外部からもたらされたものである
- 権威の変遷:教会→国家→良心→匿名(常識や世論)
- 自ら意思する個人という幻想のもとで生きる自動人形と化している
- 個人の自我は弱体化、地純粋な安定の基礎となるべき自我の喪失
- 自己の同一性に対する疑惑
- 「私」とは何者であるか
- デカルト以来近代哲学の主要な問題
- 同一性を喪失した結果、他人の期待にしたがって行動するときにのみ自我を確信する
- 自発性と個性の放棄=生命力の妨げ
- 「私」とは何者であるか
- 近代人に対する自由の意味
◇高坂あかなのまとめ
あんだーこんすとらくしょん