「自由からの逃走」講読11
◆第七章 自由とデモクラシー
2 自由と自発性
- 第一次的絆からの解放
- 生活に意味と安定とを与えた第一次的な絆からの解放
- これにより近代人は孤独となり、無力と不安に苛まれることとなった
- 孤独に基づく外界への恐怖
- 世界の統一性の崩壊
- 自己存在や人生の意味への懐疑
- ひとは生きるためにこうした消極的な自由から逃れようとし、新たな束縛へと駆り立てられる
- 束縛≠第一次的絆
- 逃避:個人的自我の完全性を犠牲にすることではかない安定を得る
- 生活に意味と安定とを与えた第一次的な絆からの解放
- 独立と自由
- 自由は不可避的に循環し、新しい依存に導くものであるか
- 第一次的絆からの解放は個人を孤独な存在とし、不可避的に新しい束縛へ逃避させるか
- 独立と自由は孤立と恐怖と等しいか
- 個人が独立した自我として存在しながら、孤独ではなく世界や他者、自然と結びついているような、積極的な自由な状態は成立しうるか
- 自我を実現し、アイデンティティの獲得によって、こうした自由は実現される
- 自我の実現
- 観念的哲学者の言う自我の実現
- 知的洞察によってのみ成し遂げられる、パーソナリティ(理性と感情)の分離
- 感情の抑制によって知的能力が失われ、理性は人間性を監視する看守となり、自分自身が囚人となった
- フロムの言う自我の実現
- 理性に基づく思考行為のみならず、感情的知的な諸能力の積極的な表現によって成し遂げられる
- 積極的な自由は全的統一的なパーソナリティの自発的行為である
- 観念的哲学者の言う自我の実現
- 心理学が抱える自発性の問題
- 自発的な活動の本質
- 人間の感情的、知的、感覚的な諸経験の内に、あるいは人間の意志の内に働く創造的な活動
- その前提としてパーソナリティ全体を受け入れ、理性と自然との分裂は取り除かれる
- 自我の本質的部分を抑制しないとき、すなわち自分という存在が明瞭に理解できたときに自発的な活動は可能になる
- 自発性を感じる瞬間=純粋に幸福な瞬間
- ex)一つの風景を新鮮に知覚するとき、思考において真理が閃いたとき、型にはまらない感覚的な快楽を感じるとき、他人に対して愛情が湧いたとき……
- 自発的な活動の本質
- 自発的な活動と自由
- 消極的な自由は個人を孤独にする
- 個人と世界の関係は疎遠で信頼できないものとなる
- 自我の衰弱により、絶えず脅かされる
- 自発的活動は自我の統一を犠牲にすることなく、孤独の恐怖を克服する1つの道である
- 自分自身を新しい外界(他者、自然、自分自身)に結びつける
- 愛は自発性を構成する一要素である
- 理想的な愛=相手を自発的に肯定し、個人的自我を確保した上で、個人と他者をむすびつけるような愛
- 自由に内在する根本的な分裂:個性の誕生と孤独の苦しみ
- 人間の自発的行為によって、より高い次元で解決される
- 自発的行為において個人は世界を包み込む
- 活動的であるほど自我は強くなり、ひいては自我の統一性の基礎となる
- 活動そのもの、すなわち過程が重要なのであって、結果は重要ではない
- 現代は個人に人格的な性質や努力の結果を求め、これらを富や権力を得るための商品のように捉えている
- 創造的行為によって与えられる現在の満足<完成された生産品の価値
- 本当の幸福を与えてくれるただ1つの満足感=現在の活動の経験
- 捕まえた瞬間に失望させられる1つの幻=成功と言う幸福の幻
- 消極的な自由は個人を孤独にする
- 自発的な活動と生
- 自発的な活動による自我の実現を通じた、自分自身と外界の関係づけ
- 孤立した存在ではなく、外界を構成する一部
- 帰属意識の形成によって、自己存在や人生に対する懐疑が消滅し、活動的創造的個人と捉えることが可能になる
- 人生の意味=生きる行為そのもの
- 人生における自分の位置における根源的な懐疑の克服
- 個人としての強さを獲得し、外界に対する新しい関係性は安定をもたらす
- 新しい関係性≠第一次的絆
- 新しい安定は外部から与えられるより高い力による保護ではない
- 生の悲劇的な性質が排除されるような安定でもない
- 人間の自発的な活動によってしゅんかんごとに獲得される安定
- 自我の実現としての積極的な自由は、個人の独自性を十分に肯定する
- パーソナリティの個人的基盤=生理的精神的な生まれつきの資質+個体を取り巻く環境や経験
- 人は生まれながらにして平等であり、また異なってもいる
- 自我の独自性は平等の原理とは矛盾しない
- 全ての人間は根本的に等しい人間性・運命・自由と幸福を求める譲渡不可能な要求を有している
- 加えて、人間関係は連帯性の関係であり、支配−従属関係ではない
- 平等の概念≠全ての人間の類似性
- 現実の人間として独自性を培うことが個性の本質である
- 独自な個人的自我に優越した力は存在せず、人間はその生活の中心であり目的である
- 人間の個性の成長と実現がその目的であり、尊厳的な目標にも決して従属しない
- 高いいかなるものにも従属しない→理想の尊厳を否定せず、理想をより強く肯定すること
- 自発的な活動による自我の実現を通じた、自分自身と外界の関係づけ
- 理想とは何か
- 「理想=物質的獲得を含まず、自己主義的な目的を進んで犠牲にするようなもの」という心理的・相対主義的概念は誤っている
- 真の理想と仮想の理想
- ファシストやマゾヒズムの例
- 人間は苦悩や従属に進んで引き込まれることを示している
- 生の積極的な目標に相反する苦悩や服従、自殺といった事柄は、主観的に満足すべき魅惑的なものとして映し出されることもある
- 生命に有害なこれらの誘惑は病理的な歪みによる快楽感の麻痺と捉えられる
- 真の理想:自我の成長、自由、幸福を促進するすべての目標
- 仮想の理想:主観的には魅惑的な経験でありながら、実際には生に有害であるような強迫的かつ非合理的な目標
- 本当の理想とは、自我の徹底的な肯定の、明らかな表現である
- 犠牲とは何か
→このとき、人は破壊性や権力あるいは服従を求める衝動へ駆り立てられる
-
- 人間の自由が「……への自由」として確立されるならば、社会的な衝動への根本的な衝動は消滅し、病人と異常者だけが危険なものとなる
- 近代人にとっての自由とデモクラシー
- フロムの描く理想
- デモクラシーへの進歩は個人の自由、創意、自発性の強化にある
- 民主主義的社会主義の実現
- 少数が大きな経済力をふるい、無責任に民衆の運命を左右する支配力の除去
- 人々の目的に奉仕する合理帝経済組織の確立
- 政治的領域から経済的領域に至るまで、人民の、人民による、人民のための政府という原理の徹底
- デモクラシーとファシズムの違い
- デモクラシー:個人の完全な発展に資する経済的政治的諸条件を創り出す組織
- ファシズム:個人を外的な目的に従属させ、純粋な個性の発展を弱める組織
- デモクラシーを実現させる上での最大の困難=計画経済と個人の積極的な共同の矛盾
- 最終的に個人的創意の問題に行き着く
- 個人的創意は自由主義的資本主義における経済的組織と人間的発展を大きく刺激した
- 他方、人間を経済的目的に従属させ、意志と合理性だけを発達させて個人間の競争を煽り、社会における合理的協調を欠落させた
- 人々が抱いている絶望、すなわち孤独と無力感は、積極的な社会過程の参画によってのみ克服される
- 社会という大きな機械の歯車として組み込まれ、自己存在の意味を喪失していることが根源的な原因である
- 自我の積極的な自発的表現として自由に対する信念を一人ひとりが抱くならば、デモクラシーはニヒリズムに打ち勝つことができるであろう
◇高坂あかなのまとめ
そうだいなはなしだな、とおもいました(小並感)
あんだーこんすとらくしょん