「唯心論と唯物論」講読1

秋学期に履修した哲学の授業(×2つ)は期末に提出するレポートで評価だったので、主に近代哲学に対する批判として生み出された実存主義をテーマに選んだ。1通は実存主義の総論的な内容、もう1通は現象学の影響を受けながら独自の思想を展開していったハイデガーサルトルの比較を行った。一連の作業を通じて、共産主義もまた実存主義と同じく近代哲学への反発から誕生したものであり、これら2つの主義には「人間疎外」という共通のキーワードが見いだせることを知った。
今回はヘーゲルマルクスの仲立ちをすることとなったフォイエルバッハの「唯心論と唯物論」を取り上げる。

◆一 自然必然性の内部における意志

  • 自然主義的な哲学者:人間に自由な意志を帰属させる
    • 自由な意志=自然的諸法則および諸原因、かつ感性的諸動機から独立している意志
    • ex)自殺=人間が自らを生に縛り付けている諸絆を自由意思により破棄する行動

→生の内部には自殺の欲動は見出されないことの証明

      • フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ:「人間には生と死の間に選択を行うことが出来ます」
      • フィヒテ:「冷静に熟慮して実行された自殺はすべて自然に対する概念の優越を実行したということなのである」
      • ヘーゲル:「ただ人間だけがあらゆるものを捨てることができるのである。人間は自分の生命をも捨てることができる。すなわち人間は自殺を犯すことができるのである」
  • 自然と自由、自己保存欲と自殺は対立するか
    • 動物が自分を維持することを欲するのは何らかの連関に基づく
      • 愛国主義的動物:自分の故郷との連関
      • 社交的動物:仲間の諸動物との連関
      • 一夫一嫁制の動物:同種かつ異性の存在者との連関
      • 進歩を尊重する動物:運動の自由と連関
    • 動物においては自己保存欲と自由欲が緊密に結合している
    • 無拘束で手放し、無制限な自己保存欲は動物のなかにも人間の中にも存在しない
    • 自己保存欲は人間において自身の範囲以上には及ばない
  • 自殺は自己保存欲に一致した行動である
    • 自殺者:あらゆる幸福欲を断念する←幸福欲の毀損を免れるため
    • 〃 :いかなる幸福を享受することを欲しない←いかなる不運に悩まされないため
    • 〃 :自分の裁量の友人をも犠牲に伴する←自身の不倶戴天の敵に致命的打撃を与えるため
    • 死は自然と矛盾にする
      • それは完璧で健康、幸福な自然に対する矛盾であって、毀損され苦悩し不幸な自然に対するものではない
    • 死はそれ自身において嫌悪を激発する毒であり、他方で毒に対する毒として待望された医薬でもある

    • 自殺者が死を決意する根拠
      • 越えられることができず、彼の本質と同一で、諸々の反対根拠によっても廃棄されず、何ら随意でない根拠に基づく
    • 自由意思による自殺の欲動は死の最終的な原因であるが、最初の原因ではない
  • 生=好きな諸対象との結合、自由意思に基づく死=好きな諸対象からの分離
    • 好きな諸対象からの分離であるところの死は必然である
      • 私がそれ以上に生き延びることが出来ない分離=私の終末と結合している分離
    • 生を愛したり放棄したり、死を避けたり求めたりするものも同一の根本衝動であり同一の力である

    • 自殺は「あらゆるものを捨象する」という自由・能力の証明ではなく、その反対を指し示すものである
      • 自分の実存を損なうことなしにあらゆるものを捨象することができる者のみが、あらゆるものを捨象することができる
      • 肉体や生命を破壊する意志=意志は肉体や生命が無ければ無であることの証明
  • 生と死はわれわれの意志に依存するか
    • 死を欲することができるのは、死が自身において必然性を有するときのみ
      • 生を否定する理由が何もなく、死ぬ根拠が何も現存しない場合において、「私の生は私の意志の恩恵に依存している」とするのは間違いである
    • 「私は私が欲することをなすことができる」
      • 意欲の根拠とそれをなす能力が備わっていない場合、その意欲は想像上のものにすぎない
    • 自身の死を欲することができるケース
      • 死のための根拠と材料を持っている場合
      • 人間に対して自殺を不可能事としている生と死の間にある割れ目が消滅した場合
      • 人間の脳髄が酷く焼き尽くされ使い果たされ、死者の頭蓋骨の中に自分の似姿を見つけ出した場合
      • 人間の心臓がこの世に酷く諦めをつけてしまい、自身の死の調子だめを求める場合
      • ただ死のなかにのみ自身の本質および意志の真の表現を見る場合
    • 死ぬことを欲する意志に対する抵抗は生に対する愛である
    • 生が耐えがたい害悪となっている者にとっては、害悪からの自由が意志の自由である
    • あらゆる生は時と共に自身にとって重荷となり害悪となる
    • 死そのものは諸々の侵された罪に対するいかなる罰でもなく、耐え忍ばれた悩みと戦いとに対する報賞である
      • 自然的な死も自由意思による死も些細な諸原因または諸機会に起因する

◇高坂あかなのまとめ
のっけから自殺の考察でちょっと興奮した。生と死に関して冷静に分析する姿勢に好感。自殺から意志は肉体や生命が無ければ無であることの証明を引き出してるあたりが鋭い。