「唯心論と唯物論」講読2
◆二 時間の内部における意志
- 意志は時間と空間に緊縛されている
- 「今欲している私が、数年前に欲していた私と同一人であるということを、反駁されることができないこととして知っている」
- かつての意志と今の意志との間には、過去の実存と現在の実存と同様に大きな差異が存在している
- 「人間の意志は彼の天国である」
- 人間が一定のときに行うことまたはなすことは、自身の能力の限界であり最後の意志である
- 人間は自身が全諸力を尽くしてなすこと以上のことを欲することができない
- 時間は血液の流れと同じく滞ることはなく、生のあらゆる一説は新しい材料および意志をもたらす
- 人間は先行した諸苦悩・必要・根拠・時間および空間によってはじめてあらゆる行為を取りうることができる
- あらゆるものは適時を有している
- 時宜に適した意志のみが、無能力な意志でもなければ空想的な意志でもない
- 現在における諸激情・諸愚行・諸害悪から解放するものは、意志や理性ではなく時すなわち未来である
- 或る人間または出来事が歴史上のものとなったときにのみ、それらは初めて正しくかつ自由な判断の対象となりうる
- このことは自由は歴史の事象であり、人間は先天的に自由なのではなく後天的に自由であるに過ぎない
- カントの批判哲学
- 「時間は諸事物自体に関係するのではなく、単に諸事物の諸現象に関するに過ぎない」
- 意志の自由の実存を理性および意志に対する時間の虚無性に依存させた
- 時間のなかに現れる作用能力はあらゆる状態が先行の状態の帰結であり、過去によって規定されており、このことこそ意志の自由である
- 過ぎ去ったものを我々が支配することはできず、同様に過ぎ去ったものが我々を支配することもできない
- カントは前者のみを指摘したが、それと等しく重要な後者を見落としている
- 「まず生活し、次に哲学する」
- 生きることが第一であり、思惟し哲学することは二の次である
- 自由はそこで始まることができるというところに存立するのではなく、そこで終わることができるというところに初めて存立する
- 自由の可能性すなわち条件は時間である
- 意志の現在形はそれの反対物または他者一般の時間上の完了形を前提としている
- 時を正しく利用し適用することによって、自然にかなったあらゆる衝動および欲求にふさわしい活動場所および時間を与えることによって自由が与えられる
- 「時間は諸事物自体に関係するのではなく、単に諸事物の諸現象に関するに過ぎない」
- 我々の過去における諸欠点に対する非難
- 我々はかつて自身が犯した諸行為に関して自身に諸非難をしばしば加える
- このことは諸行為のみならず諸感覚や諸直観も同様である
- 一連の意識は思い出という形で維持され、後の想起を通じて生々しい記憶や感覚として蘇る
- 我々はかつて自身が犯した諸行為に関して自身に諸非難をしばしば加える