「唯心論と唯物論」講読12
◆十 唯心論の本質
- 唯物論と対立する唯心論
- 唯心論=身体から本質的に区別されかつ独立な存在者である精神ないしは心に自分の根拠を見出す
- 身体は可視的な感性的で物質的であるのに対し、精神は非感性的で非物質的
- 心の非肉体性および非物質性
- 精神・心=動物的な心から区別された理性的な心
- 身体なしに存在し活動することができる存在者
- 唯心論=身体から本質的に区別されかつ独立な存在者である精神ないしは心に自分の根拠を見出す
- 信仰と唯心論
- 唯心論の本質
- 心は肉体のなかにあってもまた肉体の外に存在し、身体との結合のなかにあっても身体との結合なしに存在する
- 唯心論は肉体と心との間の連関を説明・理解することを欲したが、唯心論者たちはこれに失敗
- 唯心論の真の意味および意志:心と肉体の結合ではなく、肉体からの心の分離
- 唯心論は他の生活・未来の生活のために規定され考慮された霊魂論(心理学)であって、現在のために規定され考慮された霊魂論(心理学)ではない
- 心は死後に肉体なしに実在することができるために、肉体のなかにあっても肉体性を持たない
- 不死と非身体性は同一である
- 不死=精神的であり物質としてのけがらわしい協同性からの解放
- プラトンによる心の非物質性・不死の論証@『ファイドン』
- カントは心自身が未知な本質に関する無対象な思想として宣告、唯心論と唯物論ともに不十分であると主張した
- 心は肉体のなかにあってもまた肉体の外に存在し、身体との結合のなかにあっても身体との結合なしに存在する
◇高坂あかなのまとめ
身体と精神を二分しようとした唯心論であるが、その土台となる思想は信仰の影響を色濃く受けている。ただ、今の価値観から考えたら精神ないし心というのは身体に付随した脳の活動であって、身体なしに存在することができるというのは何ともオカルチックな見方のようにも思える。心という概念を信仰と同じように哲学が取り扱う対象から外すことで唯心論と唯物論の対立に終止符を打ったカント先生、さすがである。伊達に理性に対して懐疑を向けてはいないな、といったところか。