嘘つきオオカミは、今日もまた嘘をつく

 僕の知らないところで、どんどん話が独り歩きしてしまって、完全に手が付けられないよ。「頼むから、憶測で話を進めないでね☆」とまず釘を刺しておく。僕が研究室に行けない理由は多々あるけど、一番大きな問題は研究に対して興味が持てないことだと、ようやく分かった。
 「周りとそりが合わない」とぽろっとこぼしてしまったばかりに、「君は感受性が高いから*1。それでも社会に出るならば最低限の付き合いくらいはしないと・・・」と言われるけども、そこは大した問題じゃないんだよね。人よりかはコミュニケーション能力も劣ってるし、みんなでワイワイやるよりかはひとりでいたほうがずっと気楽に感じる様な人間だけども、最低限の付き合いくらいは出来るはず。たぶん、いや、おそらくそうだとは思うけど・・・(´・ω・`) そうじゃなかったら、研究室にも行けない状況で授業にだけ出ることはしません。英語の授業で研究室の同期と顔を合わせるときの気まずさと言ったら、もうね。
 どうもパソコンの一件*2がこうなる原因になったと周りは考えているけど、それは単なる不満の雫に過ぎないわけで。その日はたまたま満々と不満を蓄積していたコップに一滴の不満が落ちたがゆえに、不満が溢れてこうなったわけで。だから、周りがどうとかは問題じゃない。
 
 7月の初めに山梨の伯父さんを訪ねて話を聞いてもらったけども、結論としては「やってることに興味や関心が持てないこと」が全てなのだと思う。興味、関心が持てたなら、周りとそりが合わなくたって、泊まり込みするはめになったって、皆が嫌う地下の人間*3との付き合いだって出来ると思う。今までだって避けたいこともいっぱいあったよ。
 例えば、教員免許取るために介護体験したり、下手すれば教育実習そのものも自信が無くて怖かった。スピーチコンテストだって、依頼してきたロシア語の先生の期待を裏切るまいと、結局断れずにやる羽目になって*4。んでもって、結局本番でトチって大恥かいたわけですが。あの時の映像をブルーレイディスクに焼いたやつを貰いましたが、怖くて見れません。僕の葬式の時にでも流して、笑われればいいと思うよ。ともかく、今までの嫌なことと何が違うかを考えたら、それは僕自身が研究に対して空っぽだということ。
 機械を立ち上げて、真空にするのに数時間待って、製膜した後取り出して膜厚やら導電性を測って、地下の例の人にうんざりしながらX線に掛けたりして。正直に言うよ。何が楽しいの? ありがたいことに「良いテーマ」らしいけども、もうどうだって良いよ。根本的にそういう不満が消えない限りは、研究室に戻ったところで、また行けなくなるのがオチなんだと思う。

 本当だったら、こういうことはあんまり公言しない方が良いだろうし、思っていても押し殺してやり過ごすのが賢いのだとは思う。でもね、僕は不器用だからそれが出来ないみたい。この際だから、ありのままに吐露しようかと思う。
 将来設計*5を考えた時に、自分の経歴に傷をつけるのはよろしくない。ただでさえ、人様に自慢できるような大学じゃないのだから。それを考えると、進学してしまったのだから、あと1年半何とかやり過ごして、傷をつけずに卒業するのが一番スマートな方法なんだろうね。それでも、こんな気持ちで戻ったんじゃ、卒業よりも前に自分が潰れてしまうだろう、きっと。休学したって、易々と気持ちは変わらないと思う。じゃあ、退学する? もしくは、もう1回大学入り直すか。哲学とか文学に興味はあるけど、それを学んでそれを仕事に出来るほど社会は甘くない。結局のところ、「理系に進んで就職」が無難なところだと思うのです。特に文学は趣味程度(それで一発当たったら儲けもの!)にやるのが一番良い付き合い方なのではないかと思ったり。村上龍曰く、

「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう。(中略)それは、作家が「一度なったらやめられないおいしい仕事」だからではなく、ほかに転身できない「最後の仕事」だからだ。服役囚でも、入院患者でも、死刑囚でも、亡命者でも、犯罪者でも、引きこもりでも、ホームレスでもできる仕事は作家しかない。作家の条件とはただ1つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。<13歳のハローワーク>より

とのこと。いずれにせよ、人生をより良くするための材料として哲学や文学を見ている側面が大きいので、仕事とするのは少し違うように感じてしまう。
 大学に入ったら、何か自分の興味のある分野に出会えて、そんな仕事に就けるんだろうなぁ、とぽわぽわと勘違いしながら4年間を過ごした結果がこれだよ。「アイデンティティ・クライシスにも襲われたし、ここいらで一遍死んでみましょうか?」←いまここ!という状態。研究室や就職がどうとかじゃなくて、最終的にはどう生きるかという問題に収束するわけで。もっとも、こんなことは自分が死ぬ直前に何となく分かるのであって、20年ぽっちで人生を悟れたならば、神様にでもなりますよ、ええ。いささか大局的になり過ぎてるのは分かるけど、そこまで追い詰められてるわけで。どうすりゃいいのさ、この人生。完全に詰んでんじゃんよ!

 僕の死生観についてはこことかここで断片的にまとめてある。「死ぬなんて一番卑怯な方法だ!」と言われたけども、死生観なんで人それぞれだし、反論する気も説得する気もないけども。今の研究室を選んだ最終的な決めては教授の人柄。こうも期待を裏切ってばかりだと辛くて仕方ありません。前述のとおり、研究に興味が持てないので期待に応えることもきっと出来ないと思われますが。いっそのこと、教授に嫌われ憎まれ、挙句の果てに殺されたとしても、僕は教授を嫌いになれないと思う。別に、教授に罪をきせたいわけじゃなくて、あくまで「それぐらい僕が惚れこんだ」という例えの話。だからこそ、今の状況が苦しいわけで。教授のことが嫌いだったら、さっさと辞めていますよ?(*^_^*)

 ロシア語研究室に顔を出して、Y先生と少しばかし話をしたのだけども、「君なんかは就職しないで研究の道に進んだ方が良いかもね。僕なんか、そういう道を歩んできたけど、それで良かったと思ってるよ。だいさいさぁ、社会なんて人付き合いだけで面倒だよ。」と言われる。帰り際、同じくロシア語のT先生と出くわす。5月頃に自学のためのプリントを貰ったりしていたのだけど、最近はこんな状態なので全く手を付けず。「あれからメール*6貰ってないけど、どうしてた?」と聞かれ、「まぁ、研究が忙しくて(苦笑い)」と僕。僕には研究なんか向いてないし、(研究室に行けてないから)忙しくもない。息をするように嘘を吐く自分が嫌になる。
 周りを欺いていることもそうだけど、漠然と生きていることは自分もすら裏切っているようで。言葉とは自分の鏡像のようなものだと思うのであって、コトノハ心中とはそういう意味も込めているのだけども、それしか方法が無いんじゃないかとしか思えなくなってきた。僕は、いつまで嘘をつき続ければ良いのだろうか?

*1:褒められているのか、貶されてるのか・・・

*2:5/25の日記参照。その日は感情のままに嫌味ったらしく書き殴ってるけど、今思えば些細なことに過ぎないよなぁ、と。

*3:大学の職員だそうですけども、そういう人がいるんですって。

*4:そのあたりは「優勝したら泊が付くかも?」という高度な(どこが?)政治的な判断もからんでいるのですが。

*5:もう2回も神様から「はい、やりなおし(*^o^*)」と言われて、今に至る。

*6:メールでアポ取ってから研究室に押しかけてたので。