キミとなら、空を飛べる気がするんだ

 ボクという存在について。

 春先まで明るく染めいたので、傷んでパサつくボクの髪の毛。メラニン色素が少ないせいか、やや色白なボクの肌。カラオケに行くと高音よりも低音が出にくいボクの声。訳の分からないことばかり考え、基本的にネガティブ寄りのボクの心。わざわざ‘ボクの’という所有格を付けたけど、冷静になって考えてみたら身体も精神もボクの所有物ではないことに気づいた。

 確かに、外的・内的な差異は個を特徴づけてはいるのだろうけど、そういった比較の上で決定づけられる個は相対的なものであって、言い換えれば自分以外の他者が居なければ個は成立しなくなる。アリストテレスの言葉を借りれば、「人間は神や森の獣と違って社会から孤立しては生きていけない動物」であるから、他者と関わらずに相対的な個を失うような机上の空論をしても無駄なのだが。

 ボクが思うに、人間は確かに社会に属していなければ生きてはいけないが、周囲との差異によって与えられる相対的な個ではなく、自分という存在を支える確固たる絶対的な個を形作らなければいけないのだ。

 身体・精神は自らの手で掴み取った者ではないから、所有権を主張すべきじゃない。同じことが時間にも言え、時間的な積み重ねである経験もまたこの世界の理によって与えられたものに過ぎない。結局のところ、ボクという存在を取り巻くすべての物は借り物に過ぎず、絶対的な個を確立することは不可能に思えてきた。こうなることを分かっていて、この世界に次々と人間を産み落とすのだから、神様は意地悪だ。

 ボクが常日頃思っていることだけども、「死=忌み嫌うべきもの」というこの世界の共通認識は狂気じみてる。自らが世人と化しているとも知らず、薄っぺらい人生を送ることは本当に幸せなことか。ボクはそうは思わない。

 借り物の脳みそはボクに自殺を唆すわけだけど、神様は果たして借り物に細工をしてまでちっぽけな人間を騙そうとするだろうか? 玩具が無謀にも自分に逆らおうとするさまをきっとほくそ笑んでみているに違いない。ボク自身もよく理解できない「存在至上主義」に少なからず影響を受けているのだ。

 自分でも何を書きたかったのかよく分からなくなってきたけど、大抵の事は一人でできるけど、神様への反逆は一人じゃ無理って話。