美しき幻影世界

 今まで生きてきて、自ら望んで冷やし中華を食した記憶はほぼ無いのだが、今朝は珍しく冷やし中華を作って食べた。
 酸味の効いたタレにつるりとした麺。ずいぶんと久しぶりに食べたせいか、美味しく感じた。

 昼過ぎ、野暮用で外に出て、しばらく歩いた。
 目に映る白い雲と青い空。耳に流れ込む街のざわめき。皮膚で感じる風の涼しさ。

 歩きながら、ふと思った。「果たして、これらの感覚は本物だろうか?」と。
 外界からの刺激を感覚器官が認知し、それを電気信号に変換して脳に伝わり、感覚として処理している。何者かによって意図的に電気信号が脳に流し込まれ、本来はありもしないものを認識してはいないか?

 人間の感情もまた、脳内物質と電気信号によるものだ。ハッキングされたコンピューターが作為的に操られデータが改ざんされるのと同じように、この世界に存在しえないボクがあたかもそこに存在するかのように認識させられているような気もしないではない。

 「人生は醒めない悪夢だ」というのがボクの持論。結局、創られた美しき幻影世界を彷徨っているだけなのだ。その行為に意味などない。

 ところで、近世哲学の祖のデカルトは意識する自我の明晰判明な確実性をすべての認識の原点とした。所謂「コギトエルゴスム」というやつだ。幻影世界において自分の存在を懐疑するという行為は、必然的にボクが何者かとして存在している必要がある。

 幻影世界でとてつもない強敵と出くわしてしまったボクは、何とか目の前の‘巨人’を倒せないものかと頭を抱えている。