自らの死を考えているときボクの顔

 ホームをで電車を待っている間、「ボクに必要なのは現状を打破できるほどの、大きなインパクトを有する出来事であって、ボクの死もその一つである」ということを考えていた。接近放送が流れ、ヘッドライトが徐々に近づいてくる。ごつい顔つきをした1000形。ホーム進入時の速度は50キロ程度だろうか。どうする? 飛び込む?
 結局、地に足をつけたまま、飛び込めなかったのであるが。空いていた4人掛けの角に座る。ボクをこの世界に繋ぎ止めているもの、もっと言えば先ほどボクが飛び込めなかった理由は何だろうか? 一つは重力。ボクの質量*1に重力加速度9.8を掛けたものがボクに垂直下向き方向の力に作用していた。それだけだろうか? ボクの意思一つでその力から一時的に解放させることは可能だろう。僕を繋ぎ止めるもう一つの力、それは「電車に飛び込むだなんて、そんなことをボクに出来っこないし、ボクはしないだろう」という思い込みの力なのだろう。
 そこまで導いたところで、向かいに座る外国人の観光客から「Excuse me?」と声を掛けられる。彼の右手には品川界隈の地図、左手には品川プリンスホテルの予約画面が表示されたタブレット。どうやら品川プリンスホテルの場所を訪ねているようだ。ボクは地図上の一点をとんとんと指さす。しかし、先方は納得しないようすで、癖の強いおそらくインド訛りの英語で捲し立ててくるが、残念なことにボクにはさっぱり理解が出来ず、「パドゥーン?」と聞き返すのがやっとであった。
 彼は地図上のホテルを数軒読み上げながら指さしてゆく。どれも「プリンス」と名のつくホテルばかりだ。おそらくこういうことらしい。「プリンスと名のつくホテルは多いが、予約を取った品川プリンスは一体どこなのか?」と尋ねてきた(ものとボクは判断したのだが、合っているかどうか……)。「ヒア」と地図上の品川プリンスホテルを指さすボク。「Thank you!」と言われたので、席に戻る彼に一言、「ハブ ア ナイストリップ」。
 悪意のない嘘は言語能力の欠如によるものだとここで書いたが、母国語の日本語だけではどうやら足りないようだ。やはり英語で簡単な意思疎通くらいはとれるようになりたい。

 朝食(もしくは昼食)用にお弁当箱を買いに出かけた帰り、「今すぐにでも死にたい人間が明日の食事の事を考えるだなんて、おかしな話だよなぁ。いつ死ぬの? 今でしょ!」と心の中の林先生に突っ込まれていたら、品の良い淑女から不意に声を掛けられた。
「あの、食料品売り場はどちらかしら?」
「階段を降りて、そこの入口を入ったところですよ」
「どうも」

 ただそれだけの出来事だったのだが、1日に2回も見ず知らずの他人から声を掛けられ、多少戸惑っている。ボクが自らの死について考えているときは、よほど声をかけやすそうな顔をしているのだろうか? 先日の悪意のない嘘をついた警官に止められたときはどうだっただろうか…… ただ、常に頭のどこかで死について考えていることは確かではあるが。

 思うように行かない現実で、自殺について思いを巡らすということは、ボクにとっては案外楽しいものだし、柔和な表情をしているのだろうね、きっと。

*1:一番脂がのっていた時期に比べると20キロ、今年の6月頃と比較しても10キロは減ったわけだが