#7
■「自殺について」講読(6)
◆死によってわたしたちの真の存在は滅ぼされるものではないという説によせて
人の死をまのあたりに見る場合にかぎって、どうして、人は、物自体そのものが、ここで、無に帰するなどと、思いあやまるのだろうか?(p115~)
- 時間という認識の形式によって、人間は常に新しく生まれ、やがて死んでゆく人類という一種族として現れる
- 物自体そのものが消滅する「死」という直観的な認識を、人々はあらゆる時代にさまざまな形式と表現で、その意味を理解しようと努めてきた
- 人はみな、自分が無から作られた存在とは異なると感じている
- 死によって生命が消滅したとしても、存在は消滅しないと確信している
生はたしかにひとつの夢であり、死こそひとつの目醒めであると見なすことができる(p119~)
- 死はわたしたちにとって全く新しい未知の状態への移行とみなせる
死は、あからさまに、個体の終末として、示されるものであるが、しかし、その個体のうちには、或る新しい存在者となるべき胚種が存在しているのだ(p125~)
- わたしたちの生命は、死から受取ってきた借りものであり、睡眠はその借金に対する日掛けの利息である
- すべての瞬間に生きている存在者は、すべての未来に生きるようになる者―これがすなわち或る程度まで既に今ここに居る―の本質的な中核を衷に含んでいる
- 輪廻転生と反復発生の差異
- 輪廻転生:霊魂が或るほかの身体へ移り行くこと
- 反復発生:個体の分裂ならびに新生→おのれの意志を固執しつつ、新しい存在者の形態の受容し或る新しい知性を獲得
人々は、人それぞれを、二つの対蹠的な観点から、考察すべきである(p130)
- 人間は時間的にはじまり且つ終わる、欠乏と苦痛を背負わされている幻影
- 人間は不滅なる始源(本体的)存在
わたしたちにとって、死は、どこまでも、ひとつの消極的なことであり―生命の停止である。しかしながら、死は、また、ひとつの積極的な面をもっているに違いない(p131~)
- わたしたちの知性には、その積極的な面を把握する能力が欠如している
- 死によってわたしたちが失うものはよく知ってしているが、死によってわたしたちが得るものについてさっぱり知らないのだ
- 個体的存在の根柢には、或るひとつのまったく異なったものが存在し、このものの現われがすなわち個体的存在であり、時間を認めず、永続も滅亡をも認めない
「新しい人間を創っては、すでに生きている人間を抹殺する代りに、(中略)、これらの人間を未来永劫にわたって生存させておかないのか?」(p133~)
- 人の死は、ちょうど衣服を脱ぎ捨てるような個体性の放棄である
- 生存するということが至上命題である存在は、客観的におかしなものであり、主観的には退屈なものである