高坂原論23

■言葉を弄んだ者たち

どうでも良いことなんだけど、書類上の指導教授と実際の指導教授が異なっていて、ボクがさかんに「クソ教授」呼ばわりしているのは前者の方。後者は「老いぼれ」。

「老いぼれ」は何か持病があるらしいが、知ったこっちゃい。尿道カテーテルを入れられ「気持ちよかった」とセクハラまがいのことを女子学生に話していたのにはさすがに冗談と分かっていても引いた。
研究内容を変えて欲しいと直訴して了承を得た数時間後に「今のテーマで続けろ」と言われ、「このジジイ、ついに(痴呆が)来たか」と感じて、まともに話が通じる相手じゃないことが分かり対話を諦める。今学期は遂に学部生の卒研・卒論も受け持たないようだし、年齢的にもそろそろ(退官とか…とか)だと思う。

「クソ教授」は「退学理由を詳細に記せ」という退学願の指示に従っただけなのに、いろいろ理由をつけて改竄しないと判子を押さないと力で丸め込んできたクズ。「クソ教授」は長いし、なにより「教授」扱いしているのも気に入らないので今後は「クズ」と呼ぶことにする。こっちは本当に残念なことなのだが体調が悪いなんて話も聞かない。もしボクが何かやらかすとしたら相手は「クズ」だから、あらかじめ伝えしておく。

退学願は「これから未来永劫、退学にまつわるすべての責任を自身で負います」という決意表明に他ならない。だからこそ、そこに嘘・偽りを含ませることはどれほどボクを愚弄した行為であろうか? 「退学願が受理されて、縁を切ることが目的でしょう?」とカウンセラーは諭すものだけど、‘自らの意志で’というのが重要なわけで。教授会で受理されなきゃ、故意に学費未納して除籍でも別に構わなかったと、後で思った。ちなみに、書き改められた保証人はその研究室の学生が代筆によるもの。それを横で見ていて、「手間を掛けさせて悪いとは思うが、もう少し丁寧に書いてくれやしないか」などと思った。

専攻の主任はわりと話が通じる人間で、「書類を通すプロセス」を教えてくれたもんだけど、主任としても「これでは判子は押せない」らしい。「退学理由には前向きな要素がないといけない」と言われたが、そもそも退学という行為自体が後ろめたさの集合体のようなものだろう。ただ、結局使う機会はなかったのだが、「指導教授にこう書いてもらえ」と行って所見欄の下書きを渡された。そこに書かれていたていた「別の道を歩もうとする、高坂君の将来に期待しています」という一文は嘘と分かっていても純粋に嬉しかった。

結局、「復学を目指す」と所見欄に書いた「クズ」は最後に「また何かあったら顔でも見せにきたら」なんて言ってきたので、別れ際に「先生から見て『精神的におかしい』と言われる人間ですから、もう来ることはありませんよ」とだけ言い捨てたことを覚えてる。

たぶん、次に顔を合わせるとしたら、討ち入りの時。


*画像はイメージです。

ボクの発した言葉が原因となって刺されても「仕方のないこと」と思っている。しかし、その裏を考えると、時と場合によっては「やらかしても仕方がない」と考えていることに他ならない。もちろん、理性に期待してやらかさないことを願いたいが。少なくとも、ボクにとって言葉というものはそれくらいの重みを有さなくてはならないのだ。