11月の断片的思想まとめ
世界と自分に対する拒絶反応は世界と自分に対する期待の裏返し。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 2
食べ放題とか飲み放題という言葉に弱いボクの人生は絶望し放題。隣に希望が置いてあるのについ絶望ばかり取ってきてしまう。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 9
人生をやり直したいとは思わない。どうせ不器用な自分のことだから、何回やっても上手くいきっこない。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 14
ボクには自分自身の世界を拡張することが必要なのだ。今の世界認識ではやがて滅亡してしまう。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 14
承認要求という言葉をやたと耳にするけど、孤独を愛するボクとしては他者からの承認はあってもなくても良いかな(あるに越したことはないんだけど)という感じ。それよりも確固たる自分という存在を肯定する自らの承認が必要だと思った次第。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 15
希死念慮を通り越して、虚無感たんといちゃいちゃ。結果、死にも意味を見いだせないので現状維持のまま生きているという絶妙なバランスで均衡が保たれている状態。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 16
結局のところ、諸悪の根源は自由なのだ。それゆえ人は常に選択を迫られ、可能性を捨て去らなければいけない。それを繰り返しす先に、何が残るというのだろうか。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 18
この世界に産み落とされ、学校を卒業し、社会に出て働き、そして無へ還る。おそらく大多数の人が一連のプロセスに対して「How?」という疑問詞を用いるところを、ボクの場合は「Why?」という疑問詞を人生に投げかけているということがそもそもの問題なのだ。それが良いか悪いかは別として。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 18
大学に進む=より良い働き口を得る可能性を高めるため 就職する=より良い人生を送る可能性を高めるため とここまでは方法に対する一応の目的が存在するが、では生きるということの目的は一体何なのか。何らかの方法としてボクが存在しているのではなく、ボクの存在が最大の目的なのだろうか?
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 18
仮にそうだとしたら、より高きを目指して努力することもなく、没個性化した一介の人間としてつまらない人生を送るという選択肢があってもよさそうなものだが、ボクの頭(あるいは直観としてのシンボルである心)はそれに対する拒絶反応を確かに示しているの。自分を自分たらしめるにはどうするべきか?
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 18
虚無感に浸るということに意義を見出している矛盾。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 19
お風呂とサウナは身も心も開放的になれるから良い。服と見栄とちっぽけなプライドを投げ捨てて、目一杯汗をかくべし。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 21
「寝よう」と念じれば念じるほど寝付けないように、「生きよう」と思いすぎなのかもしれない。寝なくても大抵は何とかなると知ってから随分と気が楽になった。人生も同じで現に生きているし、多少の楽観的予測を取り入れるのも悪くない。生に纏わる悩みは永続的なものではないのだから。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 21
哲学と思想の差異の定義にはいろいろあると思うのだけど、哲学は私と世界の最大公約数を求める営み、思想は私と世界の最小公倍数を求める営み。最近はそんな風に感じている。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 24
ボクという存在が関与しうる範囲の過去および未来は把持/予持という形で幅をもたらすものであって、真なる過去および未来はボクという存在が関与しない生前/死後のことではなかろうか? 結局のところ、存在している限り過去ないし未来というものは知りえない。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 27
哲学するのが目的じゃなく、哲学するのはより良く生きるための手段。目的と手段を履き違えないように。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 28
確固たる自分というものが存在するとでも? ボクという存在は世界の塵や澱の集合体に過ぎない。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 28
哲学を多少齧ってみたものの、結局は「先人の思想をただなぞるだけではないのか?」と思うようになった。予備校時代に解いた現代文の評論で「哲学は古典に過ぎない」という指摘が今、よく理解できる。空っぽな自分に、本当に必要なものが分からない。
— 高坂あかな@ちんちくりん (@takasaka_akana) 2014, 11月 29