高坂原論25

■余命195日

高坂あかなは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の生を除かなければならぬと決意した。高坂あかなには人生が分からぬ。高坂あかなは、モラトリアムの牧人である。哲人の思想に学び、希死念慮と戯れて暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

名作をおちょくるのはこれくらいにして。

先日行われた家族会議の結果、「これが最後」という条件のもとに半年のモラトリアム延長が認められることになった。モラトリアムの身分から‘楽園追放’される日まであと195日。それまでに、必ずや自身の中で燻ぶっている自殺企図の衝動を立派に鍛え上げ、タナトスにこの身を託さなければならない。

消失願望の根底にあるのは自身が存在することの不条理である。この不条理を受け入れているのか、それとも不条理だと思わないのか、周りの人間がどのように理解しているかは分からないが、一度覚えたこの気持ち悪さを拭い去ることができずこの数年を生きてきた。正確には死ねなかったというのが正しい表現なのかもしれないが。


あれから4年が経ち、人間により一層の悍ましさを感じるようになった。見えぬ恐怖ならば放射線よりも良心なき人間の悪意の方がずっと恐ろしく、痛い。誰一人として責任を取らない社会は果たして正しいのか。そう感じるボクが異端なのか。白黒つけようじゃないか。政治家に期待することほど愚かなことはない。世界を変えるために、自らが革命家になろう。なんてね。

少なくとも、ボクにとってこの世界はあまりにも窮屈だ。息苦しさ、もとい生き苦しさを取り除くために世界を変えるのに比べたら、そう感じているボク自身を消し去った方がはるかに容易ではないか。せめてボクが存在することに対しては、自分なりの責任を取ろう。その方法論としての自殺。こんなことを大っぴらに書いたりしたら、少なからずボクの存在に価値を見出している優しい人々(がいればの話だが)を失望させるだろうか。人間は自分に都合が良いことしか信じない。ボクという存在は、他者にとっても自分自身にとっても都合の良い要素だけを取り出した虚像に過ぎない。果たしてボクは何者か?

しきりに「もうダメかもしれない……」と言ってはいるがその口癖も数年来のものになり、そろそろ「口先だけの奴」という評価が下されていないだろうか。無言実行を善しとするボクとしては、そのような評価は屈辱の何物でもない。こんな風に多少おどけていたりもするが、割と真剣に死こそが救いだと思っていたりもする。

そこに存在している限り人間は不完全であり、死を以て人間は初めて完成される。現象学の影響を受けた実存主義は不確実ながらも不可避な死を受容することが生の第一歩であると考え、私が存在するという不条理を考えること自体がナンセンスだと捉えている。だけども、中途半端に齧った哲学は薬になるどころか毒として作用する。全ての悩みは生にまつわるものであるが、それは永続的なものではない。いかれた思考回路はそこから、死を希求するのである。

死は万人に等しく訪れるもの。であるならば、自ら命を絶たずしてその時を待てば良い。そう思い過ごしてみたものの、待てど暮らせどタナトスが訪れる気配は一向にない。これは困った。ボクはいらち(=「せっかち」の意)なのだ。唯一の武器である若さだけがただただ拡散し、経験を得ることなく歳だけ重ね、次第に風当たりも強くなりつつある。そろそろ自ら煉獄に出向いて審問と裁きを受ける頃合いなのかもしれない。この世界で見つけられなかった居場所が地獄ならば見つかるように思える。地獄釜の住込み掃除人とか。

こういう不穏な文章を書いていると、次第に楽しくなってきてしまって変なことを口走ってしまうのは我ながら悪い癖だと思う。冗談めかして書いてはいるが、やんわりと死を待ち望んでいるのは事実に他ならない。ただ、自殺となるといろいろと面倒なので出来ればタナトスがお迎えに来てくれると好都合なのだが。既に余命200日を切っており、あまり残された時間はない。モラトリアムが失効し、いよいよ厳しい現実と向き合わなくなる前に、しっかりと希死念慮を一人前に育て上げることが当面の目標か。今の自分が本当に必要としているものは鉄道模型でもなくおにゃにょこのフィギュア箱入り娘でもなく、ちっぽけな勇気と十分な位置エネルギーだということは重々理解してはいるのだが……


異様にお金が掛かるから足を洗いたいが、最近再熱しつつある。まずい、まずいぞ。E721系(一番右のやつ)なんかは蒐集熱がちょうど冷めてた時に出た上に、あまり出回ってなくてなかなか手に入れられずに苦労した。シングルアームパンタグラフ719系(今度は一番左)の増備を密かに企んでたりする。


名誉のために言っておくと、これは去年あたりに帰省した時に買ったのんさん。今回はれんちょんのねんどろぐらいしか買ってない。(お団子パーツが付いてくるグッスマの通販で予約しそびれてorz状態だったが、パーツ付きを先日見つけたので確保)

けものっ娘×スク水ニーソという個人的な嗜好のストライクど真ん中かつ、文句のつけようがないクオリティー実はねぐらにも1体あるが、箱なし状態で1000円だったので迷わず連れて帰ってきた。実家のご神体代わりに。しっかし、改めてまじまじと(いやらしい目で)観察してみるとむっちりした臀部の造形がえろっちい、とてもえろっちいですぞ!(げふんげふん)

希死念慮と同じくらい強烈な物欲があるので、それで何とか存在の均衡が保たれている気もする今日この頃。あまりに現世的な俗っぽさ満載で自己嫌悪。でもなんだかんだ言って、生きてるのも悪いもんじゃないとか思ったり。いや、ちゃんと希死念慮と心中しますって! 本当ですって!

変態は自然淘汰されるべきだとつくづく思います。すっかり明るくなり(現在6時過ぎ)、変なテンションになって終わる。


あぁ、また醜態を晒す羽目になるとは。