気まぐれすーさいど2

 「春のすーさいど☆ふぇあ」、2日目はこちら。


 しにがみのバラッド。/ハセガワ ケイスケ(電撃文庫

 目を覚ますと、少女は死神でした。その少女は、死神でありながら、その真っ白な容姿ゆえに仲間から「変わり者」と呼ばれていました。しかし、少女の持つ巨大な鈍色の鎌は、まさしく死の番人のものです。少女の使命は人間の命を運ぶこと。死を司る黒き使者である少女は、仕え魔のダニエルと共に、人の魂を奪いにいくのです。死を司る少女は、様々な人と出会い、そして別れていきます。哀しくて、やさしいお話。

 昨日の「シゴフミ」よりも古くて、8年前に出会った本。ちなみに初版は2003年に出てる。これも割と好きなシリーズで、新刊が出るたびに買っては読んでたけど、途中から買いっぱなしでやっぱりシュリンクが掛けられたまま。外伝も合わせると10巻以上になるけど、読破するのはいつになることやら。報われる話とそうじゃない話の落差が大きいので、読んでて疲れた記憶が。それも手付かずの要因の一つ。

 『ヒカリのキセキ。I feel the light』のあらすじをば。絵を書くことに類まれな才能を持ち合わせている主人公。しかし、父親が世界的に有名な絵画家のため、スパルタとも取れる教育を叩き込まれてきた。また、描きたい絵を描かせてはもらえず、父親の決めた構図でばかり絵を描いてしまったため、「自分は父のいいなりでしかない」、「父親の決めたレールを走り続けるしかない」ことに絶望。廃ビルから飛び降り自殺を図ろうとした時にモモと出会う。
*面倒くさいのでwikipediaからコピペ・改編

 「死んで輝くのだ!」と言う主人公に、「人は死ぬことなんかで輝けない。一生懸命生きようとして、そして生き抜いたからこそ輝いているの」と諭すモモ。人が死を願うのは、もう一つの望みの裏返しに他ならない。作中ではもっと端的に表現されていた*1けど、死を望むということがとてつもない矛盾を孕んだ行為だということを自覚しているからこそ、気恥ずかしさを隠すためにあえてぼかした言い回しに。

*1:「人は死にたいと思うとき、同時に生きたいと思うの」