気まぐれすーさいど3

 「春のすーさいど☆ふぇあ」、3日目です。


 プシュケの涙/柴村 仁(メディアワークス文庫

「こうして言葉にしてみると…すごく陳腐だ。おかしいよね。笑っていいよ」「笑わないよ。笑っていいことじゃないだろう」…あなたがそう言ってくれたから、私はここにいる―あなたのそばは、呼吸がしやすい。ここにいれば、私は安らかだった。だから私は、あなたのために絵を描こう。夏休み、一人の少女が校舎の四階から飛び降りて自殺した。彼女はなぜそんなことをしたのか?その謎を探るため、二人の少年が動き始めた。一人は、飛び降りるまさにその瞬間を目撃した榎戸川。うまくいかないことばかりで鬱々としてる受験生。もう一人は“変人”由良。何を考えているかよく分からない…そんな二人が導き出した真実は、残酷なまでに切なく、身を滅ぼすほどに愛しい。

 電撃文庫から刊行された後、メディアワークス文庫から再び刊行。ボクが好きだった「我が家のお稲荷さま。」と同じ作者。「我が家のお稲荷さま。」以外も同じ作者と言うことで惰性で買っていたけども、電撃文庫版の方は買っていなかったようなので、メディアワークス版の方を購入した。実は、メディアワークス文庫から出ている同じ作者の「ハイドラの告白」、「セイジャの式日」は「プシュケの涙」の続編らしい。読み終えた勢いで書店に出かけて買ってきたけど、フェアのテーマを満たさないので今回は見送り。

 結論から言うと、少女の自殺を巡る謎解きというかミステリのようで、予想が裏切られてゆく展開に悔しさを覚える一方で、ずるずると物語の世界に引きづり込まれるくらい面白かった。昨日までの2冊もそうだけど、ここ最近はラブコメ系のラノベばっかり読んでいたので、比喩的表現・婉曲的言い回しな文章はかえって新鮮に感じた。どちらが優れているという話ではなくて。これからは一つのジャンルだけでなく、いろいろなものを読んでいこう。

 「なんとなく、消えてしまいたくなることが、あるんだよな。なんかもういいや、みたいな……」
 「バカだな。皆そうなんだよ」

 漠然とした生に対する拒絶や不安は誰しもが持ちうるもの。1部の終わりでYはある行動を取る。飄々としながらも、神さまの気まぐれに翻弄されるY。だからこそ、自嘲的なYの言葉は説得力がある。所詮、ボクらは神様の掌の上で弄ばれる存在に過ぎず、なるようにしかならないのだ。

 しかし、「我が家のお稲荷さま。」と言い「かのこん」と言い、お稲荷様もののラノベは中途半端な形で放置されてしまうのはなぜなのか。キツネスキーとしては、本当に残念に思う。