川端康成/「伊豆の踊子」

 夏のおわり、文学のはじまり。初秋の文学強化週間2日目。

 「踊子」と言えば、もっぱら伊豆急下田修善寺へ向かう特急のイメージが強い。特急と呼ぶには微妙な車内設備、時代を感じるヘッドマーク*1。良く言えば国鉄の面影を色濃く残した、悪く言えば古臭い185系が東京駅でE5系と並んでいたりすると、その古臭さが威厳のように感じられたりするのだから不思議なものだ。

 こほん、本題に戻る。「金閣寺」に次は何が良いだろうかと書店をぶらぶらしていると、涼しげな装丁の本書に目が留まった。どうやら限定のデザインらしい。「伊豆の踊子」も名前だけは知っていたが、読んだことはない。名高い名著を読んでみる。文学強化週間の指針が決まった。ところで、手に取って目次を見てみると、どうやら4つの短編集らしい。そのうち、「伊豆の踊子」は40ページ。重たい「金閣寺」の後なので、軽めの文量であったことも選定の理由になったことは否定しない。

 さて、ボクの一行。

 この美しく光る黒眼がちの大きな眼は踊子の一番美しい持ちものだった。二重瞼の線が言いようなく綺麗だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うという言葉が彼女にはほんとうだった。(P30)

 学生と旅芸者、それぞれの身分、そして格差。淡々とした物語の中に、初々しさと儚さの入り混じった感情に揺れる踊子の描写が散りばめられ、目に浮かぶ。

 人間は、身分や肩書きを求めたがるが、そういったつまらない物差しで人を図るということにどれだけの意味があると言うのだろうか?

*1:もっとも、これはボクが最近のいわゆる“萌え系”に対する親和性が極めて高いせいなのだが